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内田慶選手の思い出 その2

内田慶選手の思いで  その2

内田慶選手は、私の息子と同じ幼稚園にかよっていて、仲の良い友達でした。
少し前に、内田慶選手の納骨式の知らせが、お父様からありました。
そえられた文に、私が内田慶選手の思いでを、このブログにかいたのを、見つけたとありました。
メールをやり取りして、内田慶選手追悼の掲示板があることを知りました。
掲示板は、
「内田慶選手を追悼する」 
http://www2.ezbbs.net/15/pinehills90/

掲示板をみて、ケイタンが如何に多くの人から愛されていたのかを、知りました。

そうだ、ケイタンの写真が、どこかにあるはずだ、と思いつきました。妻に探してもらったところ、息子の小さい時のアルバムから、7枚見つけてきました。
久しぶりに、ケイタンの写真をみて、あれ!と思いました。
ケイタンは、おとなしい子だったという印象がありました。
表面的には、おとなしい子だったが、内には反骨精神があったのではないか、という気がします。
その7枚のうちの2枚では、ケイタンは、ふざけた顔をしています。
この写真をみて、ケイタンは、ただのおとなしい子ではなかったと考えを変えました。
ケイタンは小さいころから、意外と反骨精神があったのではないかと、思いなおしました。
「写真をとるから、いい顔をしなさい。」、と大人は暗黙のうちに、子供たちに要求しています。
ところが、ケイタンは、「そう簡単に、大人の思いどおりにはならないよ。」と、言っているように思えます。
ケイタンのことを書いた文章をネット上でみると、ケイタンは、相当の闘争心のかたまりだったようです。
「そう簡単に負けてはやらないよ。」、と言う感じがします。
そういう感覚は、もうすでに幼稚園(新座市の十文字学園女子

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大学付属幼稚園)時代にあったのだという気がします。
普通の顔をしている、ケイタン(内田慶選手)の写真を1枚アップしました。
写真の裏には、1986年とだけあり、月日はわかりません。
遠足みたいです。
先生のすぐとなりが、ケイタン。そのとなりが私の息子です。
こんな、時代もあったのですね。
朝霞市朝志ヶ丘1-2-6-106   昭和薬局  薬剤師 鈴木 覚
TEL 048-473-7830  FAX 048-473-7332

内田慶選手の思い出 その1

内田慶選手の思い出  その1

今日、2008年9月12日、
妻から、
  ケイタンが、死んだ。
昨日、競技中の事故で亡くなったと聞かされました。
妻は、息子からのメールで知ったようです。

まさか、
  まだ若いのに、
  と 驚きとショックを受けました。
急いで、ネットを検索してみました。
大変多くの記事が出てきました。
ああ、本当だ、ケイタンは死んだのだ。
信じたくはないが、そう確認せざるを得ませんでした。
また、ケイタンは、競輪の世界では、こんなに活躍していたのだ、とも思いました。

『一宮競輪場(愛知県一宮市)で9月11日午後1時20分ごろ行われた競輪の第51回オールスター初日の第7レースで、内田慶選手が他の選手と接触して転倒、頭などを強く打ち、搬送先の病院で死亡した。』

ケイタンと言うのは、内田慶選手のことです。
内田慶選手は、うちの息子の幼稚園時代の友達です。
十文字短大(当時、今は大学)付属の幼稚園でした。
よく行き来をしていました。
息子の幼稚園の同級生のうちでは、多分ケイタンが一番有名でしょう。
ここ数年、ネットで動静を知ることが、出来るのは、ケイタンだけでしたから。

ケイタンは、住所が新座市で、うちは朝霞市です。
新座も朝霞も、隣り合っていて、ほとんど生活圏は一緒です。
幼稚園は、新座市です。
ケイタンのお父さんは、まめな人で、よくうちの子供もつれて遊びに行ってくれました。
また、幼稚園とは別に、水泳教室にも、一緒に行っていました。
ケイタンは、やはり水泳も上手でした。
そのほか、スキーも、幼稚園からやっていたようです。

うちの店、昭和薬局は、浜崎団地という団地の中の商店街にあります。
斜め向かいに、コモディイイダさんという食品スーパーがあります。
その間が子供の遊び場になっています。
 
そこで、ケイタン(内田慶選手)と息子が遊んでいた時、
  数年後になって、あれは面白かったということがありました。
当時、団地に新座市の小学校の先生が住んでいました。
けっこう、厳しい先生だとのことです。
子供たちが、遊んでいる時に、その先生が当店に来ました。
ケイタンを見て、「まあ、賢そうね。」といいました。
私は、「ええ、お父さんが獣医さんなんですよ。」と答えました。
(お父さんは、獣医学部を出て製薬会社の研究所に行っていました。)
それで賢そうなのだと納得したようです。

それから少しして、ケイタンが小学校に入学しました。
なんと、その先生が、担任になったのです。
ケイタンは、その先生に怒られてばかりいたそうです。
まさか、そのこが以前、「賢そうね」とほめた子供だとは、夢にも思っていないでしょう。
実は、子供たちの行っていた十文字幼稚園は、
  当時は、自由教育で、子供たちに好きなように遊ばせていました。
十文字幼稚園は、大学の敷地の中にあって、普通の幼稚園より、かなり広い園庭があります。
息子たちは、教室にはほとんどいないで、もっぱら外で遊んでいたようです。

ある時、父兄懇談会がありましたが、妻が、先生に、息子が幼稚園で何をしているのかを聞いたところ、「わかりません」と答えたそうです。

普通の幼稚園は、小学校に入る準備の勉強をさせますが、十文字では何も教えていませんでした。
ですから、ケイタン(内田慶選手)も息子も、無学文盲の状態で、小学校に入学しました。

また、小学校に入学したばかりの時は、十文字出身の男の子たちは、
  始業のベルがなっても、気にしないで遊び続けるので、先生からは怒られるわけです。
こんなわけで、ケイタンも息子も、小学校(別別の)に入ったとたん、
  勉強その他で、他の子たちより遅れていて、苦労することになりました。

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