佃の渡し 東京の真ん中に渡し舟があった!
渡し船が東京のど真ん中にありました。今から、40年以上前のことです。
「佃の渡し」って知っていますか?
佃とは、佃煮の佃、中央区佃島です。
渡しは、「矢切の渡し」という歌がありますが、その「渡し」です。また、「村の渡しの船頭さんは」の、「渡し」です。
言葉として定義すれば、川などで橋がかかっていない場所で、橋がわりに、人やものを運ぶ船、またはその場を渡しといいます。
私が通っていた都立京橋高校は、中央区の晴海にありました。
晴海は埋立地で、周囲を海にかこまれており、島なんですね。まあ、「島の高校」に通っていたわけです。
「島の高校、高校生」というと、何か詩情を感じますが、実際は散文的なつまらない退屈な高校生活をおくっていました。
さて、私が高校生の時まで、東京のど真ん中、中央区に、「佃の渡し」がありました。本当に渡し舟です。
隅田川に「勝鬨橋」があります。銀座の三越のある交差点から、晴海方面に向かって、真っすぐ歩いて、二、三十分位でしょう。その「勝鬨橋」の少し上流に「佃の渡し」がありました。
高校の二年か三年生の時に、橋が出来るので、佃の渡しが廃止になると聞きました。同級生の誰かが言ったようでした。佃の渡しを渡し舟に乗ったことがあるのもいました。
そこで、今乗らなければ、もう永久に乗れない。また、渡し舟を見ておきたいと、廃止の二日前に、学校が終わってから、渡しの方に、向かって行きました。
多分、この方向だと見当をつけた通りに、渡しがありました。周囲は、住宅、倉庫などが雑居している場所です。
地名で言うと、多分、月島です。今、もんじゃ焼きで有名ですが。
船の大きさは、想像していたより大きくて、よく観光地にあるような、観光船位の大きさでした。
乗客は数十人。自転車も、相当数乗っていました。
村の船頭さんのこぐような小さな船よりは、大きいだろうけれど、とは思っていましたが。けっこう、大きかったです。
よく考えてみれば、相当の大きさがなければ、都会地の橋がわりには、なりませんけれどね。
料金は、びっくりするほど安くて、15円か2、30円でした。まあ、学生生徒料金だったのでしょうが。
東京都が運営しているので、安いぞ、とは聞いていましたが。
銀座に近い場所で、どこかの地方の町のような雰囲気の渡し場、渡し舟。
なにか、非日常的な感じがしました。
さて、
その佃の渡しの代わりの橋が、佃大橋です。
佃の渡しから見たら、かなり上流です。
2、3年前に、用事があって、佃大橋のそば(中央区新川)にいったことがあります。
対岸(新川側)から、佃島を見ると、実に不思議な感じがしました。2、30階建、あるいはそれ以上の高層建築群がならんでいます。
時間がありましたし、懐かしくもあったので、そうだ、わたってみようと思いました。
佃島についてみると、下から大きく見上げるような、高さです。大川端リバーハイツです。
昔、ぱっとしない下町風の町がこんなに、変わるとは、思ってもみませんでした。
写真は、その時撮った佃島の大川端リバーハイツ