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昭和薬科大学付属高校

昭和薬科大学付属高校

                                       2013.3
毎年、3月後半の時期になると、決まって思い出すことがあります。
荻原理事長、昭和薬科大学の故荻原光太郎(オギワラミツタロウ)先生のことです。

私は、昭和薬科大学を卒業しました。
世間的には、きわめてマイナーな大学です。
多分、一般的には、知られていないでしょう。
薬科大学という言葉がついているので、薬学部単科の大学であることが想像で来ましょう。
しかし、沖縄出身の人に、昭和薬科大学と言うと、必ず知ってくれています。

この時期の週刊誌、特にサンデー毎日、週間朝日には、高校別の大学合格者の特集が組まれています。
その時、必ず見る高校があります。一つは、息子の出た高校、一つは、娘の出た高校、もう一つは、沖縄の昭和薬科大学付属高校です。

昭和薬科大学付属高校の大学合格実績の推移を見ていると、非常に上って来ています。
東京大学や九州大学を始めとした、旧帝国大学に相当数合格しています。
早稲田慶応にも相当合格しているだけではなく、全国の国立私立の医学部にも相当合格しています。
40年以上前の、荻原理事長の夢が実現した、予測が当たった、とこの時期には、特に強く感じます。

私の学生時代の大学の理事長は、荻原光太郎(おぎわらみつたろう)先生でした。
当時、昭和薬科大学は、地方にも入学試験の会場を設けていました。東京とあわせて合計六ヶ所だったと思います。北海道、東京、長野県、沖縄は覚えていますが、その他は忘れました。
私は、東京だけでも、十分受験生が来るのに、地方に試験会場を設けるのは、経費もかかって無駄ではないかと、思いました。
それで、ある時、荻原先生に、地方会場を設けるのは、なぜでしょうかと、質問しました。
先生は、「地方に、試験場をおくと、目に見えない力が付くからだ。」との答えでした。

荻原理事長は、昭和薬科大学を日本一の大学にすると公言していました。
多分、学生の誰も信じてはいなかったでしょうが。
また、先生は、北海道と沖縄は、教育水準(大学進学実績)が低いので、学力を引き上げたいとも言っていました。
そのために、北海道と沖縄に付属高校を作る。
昭和薬科大学への進学のためにではなく、純粋の進学校にする、と言っていました。

当時は、沖縄は、アメリカの施政下にあり、沖縄に行くのも、沖縄から本土に来るのも、外国扱いで、パスポートが必要でした。
そういう、困難な状況で、沖縄に付属高校を作ろうとしました。
残念ながら、荻原先生は、その実現途上で病に倒れました。
それで、北海道の付属高校は実現しませんでした。

沖縄のほうは、卒業生、学生の父兄の協力、努力により、昭和薬科大学付属高校が開校しました。
(これは、まさに荻原光太郎先生の言う、見えない力ということでしょう。)
当時、沖縄の学力水準は、本土と較べて非常に低かったのです。
当時の沖縄からは、東大を始め名門校への合格者は、ほとんどいない状態でした。
その後、昭和薬科大学付属高校が設立されてから、名門校への合格実績が、上がり続けました。
多くの、一流大学に合格者を出すようになりました。

荻原光太郎先生の夢が実現したといえます。
毎年、この時期に、週刊誌で、昭和薬科大学付属高校の名前を見るとそう思います。

ついでながら、私の店の屋号の昭和薬局は、昭和時代の昭和ではなく、昭和薬科大学の昭和に由来しています。

荻原先生をしのんで     薬剤師 鈴木 覚

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