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あしたのジョー、同時代人として

あしたのジョー

先日(2014.8 半ば)、中村橋に用事があり、行ってきました。

用事を終えて、目に付いたのは、「あしたのジョーの時代展」のポスターでした。
駅の近くに練馬区美術館がありますが、そこでの開催でした。
その日は、もう用事がないので、見ていくことにしました。特に、なんとはなしに。

明日のジョー(矢吹 丈)を始め、力石徹などは、実在の人物ではありませんが、何となく同時代人と言う気がしていました。


明日のジョーの関係年表がありました。
順を追ってみると、私が、何となく同時代人と感じていた理由がわかりました。

昭和42年12月少年マガジンに連載開始
(私は、大学一年生)
昭和48年5月連載終了

マンガの中で、力石徹は、ボクシングの試合中に死にました。
その時、大変奇妙な社会現象が起こったのを、覚えています。
力石徹の葬儀が行われ、多くの人が参加しました。
何しろ架空の人物の葬儀というのは、前代未聞です。
それは、昭和45年1月のことでした。
(私は、大学4年生でした。)

その力石徹の祭壇が再現されていました。
このことは、報道などで知ってはいましたが、それを40年もたってから、再現とはいえ、見ることが出来たのは、不思議な感じがします。
なにか、あの時代の熱気が感じられれました。
私の大学時代と同時に物語が進行していたのを感じました。

また、同時代の、劇団などのポスターたとえば、天井桟敷座のなども展示されていました。
古めかしい感じもしますが、今なお斬新で前衛的な感じがしました。


ジョーをはじめ、多くの登場人物、それのみならず明日のジョーの原作者までもが、破滅的な、非合理的な行動をとっています。


こういう物を見ると、時代は何かを求めて、苦しんでいたことが伺えます。

当時、学生運動が盛んでしたが、
なにを求めていたのか、今以て釈然としません。

自分自身は、学生運動に参加したことはありませんでした。
しかし、高校時代の友人の多くが、何らかの形で加わっていました。
べ平連で活動した者、東大の安田講堂に立てこもった者もいました。
ともかく、騒然とした時代でした。

自分も、なにか参加したい気持ちもありましたが、では、なにを目的に、というと、なにもありません。
当時は、何かをしなければ、という雰囲気がありました。
結局、なにもしないで、大学時代は、終わりました。

こういう事や、展示物を見ると、時代は何かを求めて、苦しんでいたことが伺えます。

他方、当時は、日本経済が、上昇を続けていて、世の中は良くなっていくだろう、年々給料はあがっていくだろう、生活も良くなっていくだろう、という楽観的な空気も流れていました。
私の大学では、こちらの楽観的な雰囲気の強い学校でした。
まるっきり、危機感のない大学でした。

当時の学生運動の主体は、共産主義、社会主義の運動家たちでした。
しかし、その目標とした、共産主義国家、社会主義国家は、
ベルリンの壁の崩壊をきっかけに、ほとんど、実質的には無くなりました。

日本経済もかっての勢いはなくなり、バブル崩壊を経て、経済の拡大は、給料の増加は、期待できない時代になりました。

この様に、多くのことを考えさせ、
あの時代を思いださせてくれた
「あしたのジョー」展でした。

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