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50年目の白樺湖

50年目の白樺湖
                              2020.8
昭和薬科大学諏訪校舎(昭和薬科大学白樺湖校舎)

今年の夏は、白樺湖に行ってきました。
何時か行ってみたいと、思っていました。
それが、コロナ禍のおかげで、行くことにしました。
例年、夏休みには、パック旅行に行くのですが、今年は、コロナ禍で、パック旅行商品があまりないので、自分で、行くことにしました。
そして、いつかは行きたいと思っていた、白樺湖に行こうと、思いつきました。
白樺湖は、当店から200kmと少しです。
例年でしたら、道路が大いに混んで、たぶん、相当時間がかかると、思います。
今年は、たぶん、混雑が、例年よりすくないと考えました。
また、自分の車なら、他人とはほとんど接触しないので、済みますから。


さて、白樺湖は長野県の立科町にありますが、諏訪湖から少し東にあります。諏訪地方ですね。
(恥ずかしながら、今まで白樺湖は、諏訪市または茅野市であろう、と思っていましたが、今回の旅行で、立科町にあることを知りました。)
なぜ、そこに行きたかったかと言いますと、昔、白樺湖(湖畔)に、私の母校の校舎が一時的にあったからです。
昭和薬科大学諏訪校舎ですね。私が、大学に入った頃に完工しています。

現在私は、71歳です。18歳で大学に入りましたから、53年前に始めて白樺湖(私たちは、・・・校舎とは言わず、単に白樺湖と呼んでいました。)に行きました。
やはり、懐かしく、いつかは行って見たいとは思っていました。

入学して、すぐにオリエンテーリングと称して、白樺湖に送り込まれました。授業もありましたが、遊び半分の感じでした。何しろ、大学から観光バスを数台連ねて行きましたので、学習に行くという感じは、薄いものでした。

また、体育の授業を落とすと、冬に白樺湖に行って、スキーをすれば、単位がもらえました。もっとも、体育の授業という感じではなく、ただのスキーで遊んだと言う感じでしたが。
正確に思えていないのですが、毎年、一、2ヶ月位、白樺湖に行かされたと思います。
ある年、たぶん2、3年生の時だったと思いますが、バスケット部員と同室になりました。彼らは、毎朝、白樺湖一周のマラソンをしていました。それで、私も、おつきあいして、相当期間毎朝マラソンをしました。すると、体重が大変落ちました。人生で、一番体重の減った時期でした。
白樺湖は、あまり大きくないので、マラソンに丁度良いのでしょうね。
(今回、白樺湖のある場所で、マラソンの練習をしているらしい人たちを見ました。何だろうと思って、よく見ると、マラソンで有名な山梨学院大学のマイクロバスが、停まっていました。白樺湖は、マラソンの練習にいい場所だったんだな、と改めて感じました。)


この文章を書き始めてから、様々なことを、思い出しました。
大学には、教員免許を取れるコースも有りました。卒業後、教員になった同級生もいました。
その一環で、地学の授業がありました。授業は、夏休みに、白樺湖で行われました。といっても、ハイキングみたいなものです。
他大学から講師の先生が来て、校舎から、マイクロバスで出かけ、面白そうな地層を見ただけです。
バスの行くコースはつづら折りなっていました。地図を見ていた同級生が、ここは、この山を越えて下りれば、バスより速いんじゃないか、と言いました。それで、先生の許可を得て、男子学生の3、4人(これで男子全員ですが。授業を受けた大部分は、女子でした。)が、ある場所で下りて、山を越えてみました。残念ながら、バスが、目的地点に待っていました。少し、負けたのですね。
こんな感じで、授業だか、山登りだか、お遊びで、地学の単位を全員貰いました。
講師の先生が、ここら辺(諏訪地方)は、地学的に面白い場所だ、と言ったのを思い出しました。

ここで、一度、白樺校舎の思い出は、止めておきます。思い出したことは、まだありますが。


さて、旅行の方に、話を戻します。
始めに泊まるホテルなど所を、さがしましたが、適当なのが、見つかりません。それで、範囲を広げて、オーベルジュと言うのが、目にはいりました。一度は、オーベルジュと称するのに、泊まってみたいと思っていましたので、ペンション・フィガロという所に予約を入れました。

当日(八月11日)、9時過ぎに朝霞を出ました。体力の事もありますので、比較的、PAやSAで休み休み行きました。
関越自動車道、上信越自動車道、佐久小諸の出口から、中部自動車道に入り佐久南で、一般道に出ました。始めに道の駅「ホットパーク浅科」という所に車を止めました。そこの売店は、小さかったのですが、意外と面白いものがありました。野菜などは、まあ普通ですが、信州らしく蜂の子の瓶詰め、イナゴの佃煮がありました。イナゴは、比較的あちこちで見られます(600円位)が、蜂の子は、珍しいし高価(小さな瓶で2、000円)でした、
これは、面白いと家族に見せました。家に帰ってきてから、蜂の子(佃煮)が、夕食に出されてびっくりしました。あれー!、買ってきたんだ、と内心驚きました。蜂の子は、実は大変美味しいのですが、大口を開けて食べられないものです。実際に、自分で蜂の巣を採集するのは、危険で困難です。買っても、高いし。
(長野県は、虫食いの本場です。それで、信州らしく、と書きました。)
そこで、昼食のつもりでしたが、食べる所が、営業していなくて、次の道の駅に向かいました。
道の駅「女神の里」です、そこは、目的地の白樺湖と同じ立科町です。白樺湖は、もうすぐです。
道の駅では、様々な物を売っていますが、家族は、安い安いといいながら、果物や野菜を買っていました。ここで、昼食をとりました。
それから、少しで、白樺湖につきました。
白樺湖畔には、白樺湖ドリームランドと言うのがあるようです。昔は無かったので、当然、私は行ったことがありません。しかし、家族のために、立ち寄りました。
動物園では、餌やりが出来たり、動物に(ウサギ、モルモット、ミーアキャット!!などにさわれるコーナーがありましたので、家族は、喜びました。
また、ミミズクを飛ばせて見せてもいました。

と、時間を過ごしました。
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その後、今回の旅行の最大の目的である大学の跡地に向かいました。
湖を半周する感じで向かいました。そのときに。、マラソンの練習している人たちを見ました。
さて、たぶん、この道の奥の方に、校舎の跡地があるだろうという所のそばに、車を止めました。家族は、置いて、私一人で向かいました。道の状態がどうかも、わからないし、本当に跡地がそこにあるかもわからないので、
道は、急で、舗装も、ガタが来ています。少し、進んで行きましたが、道が二又になっている所につきました。これは、間違っているかもしれない、あきらめようかな、それとも、と思いながら、右手の方の道をあがっていきました。すると、ありました。「昭和薬科大学諏訪校舎跡地」の碑が。周囲をみわたしても、記憶にある校舎はありませんし、礎石らしいのも見あたりません。なにも、記憶にあるのとは、合致しません。しかし、碑があることで、ここであることは確かです。
とはいえ、長年の望み、校舎跡地に行って見たい、という望みは叶いました。
五十年前というと、若い人には、随分長く感じるでしょうが、思いめぐらせば、つい少し前のような気もします。
いつまでも、その場にいるわけにも行かず、もと来た道をたどって、車の所まで、戻りました。
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それから、宿泊予定のペンションに向かいました。
夕食は、オーベルジュと称しているだけあって、フレンチのコースでした。
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今回の白樺湖行きに当たって、周囲の情報を調べたところ、縄文時代の尖石遺跡が、白樺湖から十数キロ先にあるのが、わかりました。また、諏訪地方には、多くの縄文弥生の遺跡があることがわかりました。
尖石縄文考古館には、縄文のビーナスとして有名な土偶があります。
縄文遺跡とか、土偶を見てみたいと、以前から思っていましたので、この機会に行って見ようと思っていました。

それで、翌朝、尖石を目指しました。
縄文考古館で、土偶や土器を見ました。

この、土偶の本物を見ることも、長年の望みでした。
それで今回は、二つの長年の願いが叶って、良いことでした。

時間があったので、諏訪大社にも行きました。
テレビなどで、御柱祭りが行われるているのを、見た事があるでしょうが、その神社です。
その御柱も、見ましたが、面白かったのは、土産物店の天井でした。回廊を見ると、なぜか傘が逆さまにかけられています。しばらく、眺めていたら、あ、これか!と気が付きました。ツバメが飛んできました。回廊の梁には、ツバメの巣があります。そのツバメの巣から、糞が落ちてくるのを、受けとけるために、傘があるのでした。
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その神社から、すぐそばの高速のインターから中央道に入って、帰途につきました。


さて、当店は、昭和薬局という名称ですが、大学名の昭和薬科大学から、とったものです。
昭和時代の昭和では、ないんですね。

開局45年
朝霞の漢方  昭和薬局
薬剤師  鈴木 覚
埼玉県朝霞市朝志ヶ丘1-2-6-106
TEL 048-473-7830  FAX 048-473-7332

























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