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高校再訪  東銀座、築地、晴海

高校再訪  東銀座、築地、晴海

11月13日
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久しぶりに高校時代の友人二人と会いました。
二人の友人は、共に公務員で、今は定年退職しています。毎日が、日曜日でのんびりと生活しています。
うらやましくもありますが、仕事で忙しいのも、悪くはないと思います。
何しろ、私自身は、日曜のうちの半分は、勉強会等でつぶれ、残りの休みは、
大抵何かの用事があります。
会う前に、高校に行ってみないかと提案しました。

私たちの出た高校は、都立京橋高校といい、今は隣にあった、
都立京橋商業高校と合併して、都立晴海総合高校になっています。
また、首都大学の法科大学院も併設されています。
私自身は、最近、近辺で用事があったので、ついでにそこら辺を、何回か見てきています。
高校の所在地は、中央区晴海1丁目2番地3号で、123と並んでいる大変覚えやすい地番でした。
大学とか中学の地番なんかは、当然覚えていませんが。
「北千住」に集合して、地下鉄で「東銀座」まで行きました。昔は、そこから都電かバスで月島までバスで行き、それから歩いて朝潮橋をわたって、高校まで行っていました。
しかし、今回は、タクシーで行きました。タクシーで晴海総合高校まで、と言ったところわからないようでした。運転手さんは、京橋高校なら知っているというのです。その京橋高校ですよ、と言うと、その運転手さんもその近辺の高校の出身だとのことで、話が弾みました。

着いてみて、少しすると、二人とも当時を思い出したようです。
学校の正門前には、ここに、京橋高校、京橋商業高校があったとの石碑がありました。
私たちは、いわゆる団塊の世代です。卒業してから、四捨五入すれば50年、半世紀近く過ぎています。
変わったものもあれば、変わらないものもあります。
学校わきの運河、朝潮運河、実際は海ですが、きれいになっているのに、二人と、驚いたようです。昔は、ドブ川のようで、ゴミが浮かび、悪臭を放っていました。それが、水は澄んでいて、海岸独特の潮の匂いまでします。
よく見ると朝潮橋の中央あたりから釣り糸をたれている人がいます。また、学校わきの運河沿いから、釣りをしている、若い男性が二人いました。
えー、釣りをしているということは、魚が相当いるということではないかと思いました。
釣り人に、何が釣れるのですか?と聞いてみました。ハゼが釣れるとのことでした。スズキも釣れるとのことでした。
ハゼは、食べられるのですか?と聞いたところ、この前は天婦羅にして食べて、美味しかったとのことでした。
この話を聞いて、いやあ本当に変わった、海がきれいになったと感動しました。食べられるようになる位、海がきれいになったのですから。
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学校の周辺には、高層ビル、タワーマンションが林立しているのが見えます。
朝潮運河の向こうには、大川端リバーハイツ、新東京タワー、聖路加病院、月島地区のタワーマンションなどが見えます。
「桑田変じて滄海となる(ソウデンへんじてウミとなる)。」という言葉があります。しかし、学校の先、つまり東京湾は、「滄海 変じて タワーマンションとなる。」の感があります。
学生時代と、東京湾の地図は、大きく変わっています。
東側の対岸は、豊洲で、タワーマンションが立ち並んでいます。
高校時代、学校の周囲をマラソンさせられましたが、風景は一変しています。


学校の周囲をぶらぶらしてから、「晴海トリトンスクエア」に行きました。トリトンスクエアは、高校と同じ晴海にあって、歩いて数分のところにあります。
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トリトンスクエアは、オフィス、商業施設、住居が複合した建築群で、遠くからでも、その巨大さがわかるような大きさです。
そこに、行ったことがなかったので、お昼を食べようということになりました。
それほど、人は多くありませんでしたが、ウオーターフロントを生かした設計になっており、お台場とか、豊洲とか、横浜ベイクオーターと共通した、湾岸風景でした。
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昔の、殺風景なことと思い比べて、昔日の感がありました。
惜しむらくは、交通の便が悪い(月島駅から約10分)のと、銀座に近すぎるので、人が流れてこないという感じです。
また、「晴海トリトンスクエア」の北側も運河になっていて、対岸は月島です。
そこでも、釣りをしている人がいました。聞くと、やはりハゼだそうです。
これだけ多くの人が釣りをしていることに、不思議な感動を覚えました。
その運河の向こうは、勝鬨橋、築地、銀座です。




(トリトンスクエアは、晴海通りにも接しています。銀座は、ここから一直線です。地図で銀座の交差点との距離を調べると、約2kmです。80mを1分とすると、銀座の交差点まで、約25分で歩けることになります。

不動産屋の広告風に言えば、「東京駅に約3km、銀座が生活圏です。」という感じです。
月島、晴海というと、ぴんと来ないでしょうが、実は銀座に一番近い、住宅地です。)

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それから、歩いて、東銀座まで戻ろうというということになりました。勝鬨橋、築地をへて、歩きながら、色々なことを話しました。築地の本願寺は、昔と変わらない様子でした。
同級生に築地の料亭の息子がいたそうです。ある時、その同級生を訪ねていって、店の入り口から入ったところ、店の人に「お坊ちゃん」の友だちは裏から入ってください、と言われたそうです。私はその生徒を同じクラスになったことがなかったので、知らなかったのですが、学校の場所柄、料亭の息子がいたのですね。築地の料亭なんかは別世界だと思っていましたが。
歩きながら、ここには何があった、とか同じ店がまだあるとか、盛んに話していました。
自分ひとりだと、忘れていることもあって、随分思い出しました。やはり、人と話すことは、大事ですね。

東銀座には、歌舞伎座があり、昔は、毎日眺めて通っていました。工事中の様子を見てきました。奥行きがかなりあったのは、意外でした。
せっかくだからと、東銀座を通り過ぎて、銀座まで行き、そこで喫茶店に入って一休みして、解散としました

久しぶりに、学校や周辺が見られて、懐旧談に花が咲きました。

「サカナニゲタ。」「クジラトレタ。」

魚 逃げた。鯨 獲れた。

「サカナニゲタ。」「クジラトレタ。」
これは、「サクラサク。」「サクラチル。」と同じ意味です。
といっても、若い人には分からないでしょうから、解説します。

3月4月になって、週刊誌にあちこちの大学の合格数が報道されています。
この季節になると、必ず思い出す言葉があります。
それが、「サカナニゲタ。」「クジラトレタ。」です。
私の、第一志望の大学は、東京水産大学でした。
水産養殖を勉強したかったのです。
水産大学は、今は、商船大学と合併して、東京海洋大学になっています。
                     
最近、大学の合格発表は、インターネットでされるところが多くなっています。
合否が簡単にわかるようになりました。
                    
しかし、当時の合格発表は、発表時に校庭に張り出されるだけでした。
すると、見に行くのが、大変なわけです。特に、地方からの受験者にとっては、大変です。
そこで、どこの大学でも、学生が、合否を見て電報を打つ、というアルバイトをしていました。
一組のグループだけではなく、何組ものグループが店を出していました。
1通いくらで、受験番号を聞いておいて、発表時に見て電報で連絡するといったものです。
もちろん、大学から合否の通知は郵便で行くのですが、早く知りたいというのが人情です。
また、合格発表から入学手続きまでの時間が短いこともあって、地方の受験者にとって、郵便が来るのが遅かったら、間に合わなくなります。
そこで、こんな商売(アルバイト)が、成り立っていました。

大抵の大学の合格は、「サクラサク」で、不合格は「サクラチル」でした。
しかし、一部の大学では、特色を出した言葉で、電報を打っていました。
地方の大学では、地名などを織り込んだ特色ある文で、合否を知らせていました。
当時は、いろいろなのがありましたが、ほとんど忘れてしまいました。
唯一覚えているのが、「サカナニゲタ。」「クジラトレタ。」です。
水産大学は、漁業関係の大学でしたから、こんな言葉にしたのでしょう。
合格は、「クジラトレタ。」で、
不合格は、「サカナニゲタ。」でした。

私はというと、残念ながらクジラは捕れず、「サカナニゲタ」でした。
滑り止めの薬科大学しか受からなかったので、薬剤師になりました。
それで、今は薬局をしているわけです。

あるいは、「サカナニゲタ。」「クジラトレタ。」では無く、「クジラニゲタ。」「クジラトレタ。」であったかもしれません。

ちなみに、娘が一番最初に受験した大学の発表も、インターネットでした。
暗証番号を打ちんで見ました。
ただ、合格者の受験番号が並んでいるだけでした。
何か、味気がないのですが、早いし、便利なのは確かです。
合格はしてはいましたが、志望校ではなかったので、手続きはしませんでしたが。


朝霞、志木、新座、和光の健康をささえて35年

漢方薬局  昭和薬局  薬剤師 鈴木 覚
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玉川電車(玉電)と昭和薬科大学

玉川電車(玉電)と昭和薬科大学   2010年2月

昭和薬科大学というのが、私の出た学校です。
屋号である昭和薬局という名前は、それにちなんでつけました。
昭和時代の昭和ではないわけです。

当店では、他所ではあまり扱っていない商品があったり、
朝霞、志木、新座あたりで、相談できる薬局を探して、
ホームページを見てから、来店される方がいます。
そのうちの何人かの方に、昭和薬科大学を出たので、昭和薬局なのね、といわれました。
私としては、なにげなく書いたのですが、意外と印象が深いようです。

先日も、そういう方が見えました。

また、少し前に同窓会から、昭和薬科大学開校80周年の案内が送られて来たので、学校のことを思い出しました。
在学中に40周年記念がありましたので、もうそんなに経ったのかと、時の流れの速さに驚きます。
まあ、それだけ年をとったのですが。
(ちなみに、娘の出た明治薬科大学は、100年以上の歴史があります。時々、この事でえばられますが。)

さて、昭和薬科大学とか**薬科大学といっても、多分、一般の人にはなじみがないでしょう。
学生時代、学校名を聞かれて昭和薬科大学と答えると、ほとんど、ぴんとこないようでした。
学校名に薬科大学とあるので、よくわからないが、薬に関係ある大学だろうとは推定がついた程度でしょう。

現在、大学は町田市の玉川学園にあります。
しかし、私の在学中は、世田谷区の弦巻にありました。
(今の東急田園都市線の桜新町駅と用賀駅の間で、すこし用賀よりです。)
当時は、その東急田園都市線がなく、渋谷から玉川線(玉川電車:玉電)という路面電車がありました。
路面電車というと、若い人にはぴんと来ないでしょうが、都電みたいなものです。
今、都電は三ノ輪から早稲田までの1路線が残っています。
ここら辺にすんでいると、ほとんど用がないでしょうが、なかなか、風情のある乗り物です。
一度乗ってみると面白いですよ。

その玉川線に渋谷から乗り、用賀で下りて、学校に通っていました。
同じ路線を走っているバスもありましたが、こちらの方がなんとなく良い感じでした。
座れる確立が高いのと、車内がなんとなくのんびりしているのと、乗り物としては、バスより安定している感じがするので。
バスのほうが、乗客が緊張している感じがしました。
またその玉川線は、三軒茶屋で下高井戸の方に支線がありました。
その、玉川線も卒業するまでには、渋谷・用賀路線は、廃止となり、最後は、バス通学のみとなりました。

先日、用事があって三軒茶屋に行きましたが、三軒茶屋から出ている支線が残っているのに気がつき、懐かしさを覚えました。
世田谷線という名前で、路線距離わずか5kmというミニ路線です。
乗ってみたかったのですが用事も無いので、見ただけでしたが。

なにか、よくぞ生き残ってくれたという感じがしました。


朝霞の漢方  昭和薬局   薬剤師 鈴木 覚
埼玉県朝霞市朝志ヶ丘1-2-6-106
TEL 048-473-7830  FAX 048-473-7332

この文は、2010年1月のニュースレターに掲載したものです。

佃の渡し  東京の真ん中に渡し舟があった!

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佃の渡し  東京の真ん中に渡し舟があった!
渡し船が東京のど真ん中にありました。今から、40年以上前のことです。
「佃の渡し」って知っていますか?
佃とは、佃煮の佃、中央区佃島です。
渡しは、「矢切の渡し」という歌がありますが、その「渡し」です。また、「村の渡しの船頭さんは」の、「渡し」です。
言葉として定義すれば、川などで橋がかかっていない場所で、橋がわりに、人やものを運ぶ船、またはその場を渡しといいます。

私が通っていた都立京橋高校は、中央区の晴海にありました。
晴海は埋立地で、周囲を海にかこまれており、島なんですね。まあ、「島の高校」に通っていたわけです。
「島の高校、高校生」というと、何か詩情を感じますが、実際は散文的なつまらない退屈な高校生活をおくっていました。

さて、私が高校生の時まで、東京のど真ん中、中央区に、「佃の渡し」がありました。本当に渡し舟です。
隅田川に「勝鬨橋」があります。銀座の三越のある交差点から、晴海方面に向かって、真っすぐ歩いて、二、三十分位でしょう。その「勝鬨橋」の少し上流に「佃の渡し」がありました。

高校の二年か三年生の時に、橋が出来るので、佃の渡しが廃止になると聞きました。同級生の誰かが言ったようでした。佃の渡しを渡し舟に乗ったことがあるのもいました。
そこで、今乗らなければ、もう永久に乗れない。また、渡し舟を見ておきたいと、廃止の二日前に、学校が終わってから、渡しの方に、向かって行きました。
多分、この方向だと見当をつけた通りに、渡しがありました。周囲は、住宅、倉庫などが雑居している場所です。
地名で言うと、多分、月島です。今、もんじゃ焼きで有名ですが。
船の大きさは、想像していたより大きくて、よく観光地にあるような、観光船位の大きさでした。
乗客は数十人。自転車も、相当数乗っていました。
村の船頭さんのこぐような小さな船よりは、大きいだろうけれど、とは思っていましたが。けっこう、大きかったです。
よく考えてみれば、相当の大きさがなければ、都会地の橋がわりには、なりませんけれどね。
料金は、びっくりするほど安くて、15円か2、30円でした。まあ、学生生徒料金だったのでしょうが。
東京都が運営しているので、安いぞ、とは聞いていましたが。
銀座に近い場所で、どこかの地方の町のような雰囲気の渡し場、渡し舟。
なにか、非日常的な感じがしました。
                 
さて、
その佃の渡しの代わりの橋が、佃大橋です。
佃の渡しから見たら、かなり上流です。
                   
2、3年前に、用事があって、佃大橋のそば(中央区新川)にいったことがあります。
対岸(新川側)から、佃島を見ると、実に不思議な感じがしました。2、30階建、あるいはそれ以上の高層建築群がならんでいます。
時間がありましたし、懐かしくもあったので、そうだ、わたってみようと思いました。
佃島についてみると、下から大きく見上げるような、高さです。大川端リバーハイツです。
昔、ぱっとしない下町風の町がこんなに、変わるとは、思ってもみませんでした。
            写真は、その時撮った佃島の大川端リバーハイツ

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