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子猫のトラちゃんのこと  その2

トラちゃんのこと  その2

子猫が歩くようになったら、モモチャンは大変だろうと、皆で思っていました。店の裏は駐車場で、車も人も出入りしています。
歩きだしたら、車にひかれたり、迷子になったりしないかと、余計な心配もしていました。

(念のために書きますが、うちではモモチャンを含め、野良猫にはエサをあげてはいません。
猫好きの人達が、夜エサをあげていたようです。
うちは、あくまで、傍観者でした。)

そのうちに、子猫たちが少しずつ歩きだしました。
野良猫の子だから、警戒して人間に近寄らないかなと思っていました。
ところが、呼んで見ると、3匹とも、近寄って来ました。
始めのうちは、母ネコのモモちゃんがいないスキに、子猫たちを、なでたり、さわったりしていました。
なでたり、触ったりしてもいやがりませんし、むしろ喜んで入るようすです。
そのうち、モモちゃんが見ている所で、子猫にさわっても、
母猫のモモチャンは、ぜんぜん怒りませんでした。
そうなると、かわいいものです。

子猫たちは、よく寝ていました。
しかし、起きている時にドアを開けると、ドアの音に反応して、近づいてきました。


しばらくたってから、そろそろ何か食べられるのではないかと、エサをあげてみた所、食べました。
また、ドアを開けると、近づいてくるだけではなく、ドアの内側にも入って来ました。というより、非常に入りたがっている感じでした。

こうなると、まるでうちの子といったかんじでした。
しかし、モモチャンは、知らん顔していました。
モモチャンはあいかわらず、人間とは一定以上の距離をおいていました。
しかし、モモチャンは随分優しい顔付きになってきました。

朝、私が後ろのドアを開けて店に入ろうとすると、子猫たちは、目が覚めていれば、一緒に中に入ろうとしました。
子猫と少し遊んでから、店に入り、子猫がドアに挟まれないようにして、ドアを閉めました。

ある日、妻が帰ると言ってから、後ろのドアをあけて、なぜかしばらくそのまま帰らないでいました。
どうしたのかと聞くと、子猫が寄ってくるので、帰れなくなった、というのです。

また、帰ろうとすると子猫がついてきて、心配だとか言う日もありました。
また、子猫のうちのトラネコは、目ヤニで目が細くなったり、ふさがったりしていることもありました。そういう時は、捉まえて、目薬を差しました。しかし、それでいやがって、近寄らなくなることは、ありませんでした。
トラちゃんが、3匹のうちで、1番身体が弱いようでした。

そのうち、うちの娘も、子猫のことを聞いて、時々来るようになりました。
娘は、子猫たちと遊んだり、エサを上げたりしていました。ある時、モモちゃん相手に、手にえさをのせて辛抱強く待っていました。そうしたら、モモちゃんが、娘の手から、エサを食べました。
実は、モモちゃんは、警戒心が強くて、今までエサをくれている人たちからも、距離をおいていて、人の手からエサを食べたことは無かったそうです。
娘は、こういうときだけは、辛抱強いようです。

内田慶選手の思い出 その1

内田慶選手の思い出  その1

今日、2008年9月12日、
妻から、
  ケイタンが、死んだ。
昨日、競技中の事故で亡くなったと聞かされました。
妻は、息子からのメールで知ったようです。

まさか、
  まだ若いのに、
  と 驚きとショックを受けました。
急いで、ネットを検索してみました。
大変多くの記事が出てきました。
ああ、本当だ、ケイタンは死んだのだ。
信じたくはないが、そう確認せざるを得ませんでした。
また、ケイタンは、競輪の世界では、こんなに活躍していたのだ、とも思いました。

『一宮競輪場(愛知県一宮市)で9月11日午後1時20分ごろ行われた競輪の第51回オールスター初日の第7レースで、内田慶選手が他の選手と接触して転倒、頭などを強く打ち、搬送先の病院で死亡した。』

ケイタンと言うのは、内田慶選手のことです。
内田慶選手は、うちの息子の幼稚園時代の友達です。
十文字短大(当時、今は大学)付属の幼稚園でした。
よく行き来をしていました。
息子の幼稚園の同級生のうちでは、多分ケイタンが一番有名でしょう。
ここ数年、ネットで動静を知ることが、出来るのは、ケイタンだけでしたから。

ケイタンは、住所が新座市で、うちは朝霞市です。
新座も朝霞も、隣り合っていて、ほとんど生活圏は一緒です。
幼稚園は、新座市です。
ケイタンのお父さんは、まめな人で、よくうちの子供もつれて遊びに行ってくれました。
また、幼稚園とは別に、水泳教室にも、一緒に行っていました。
ケイタンは、やはり水泳も上手でした。
そのほか、スキーも、幼稚園からやっていたようです。

うちの店、昭和薬局は、浜崎団地という団地の中の商店街にあります。
斜め向かいに、コモディイイダさんという食品スーパーがあります。
その間が子供の遊び場になっています。
 
そこで、ケイタン(内田慶選手)と息子が遊んでいた時、
  数年後になって、あれは面白かったということがありました。
当時、団地に新座市の小学校の先生が住んでいました。
けっこう、厳しい先生だとのことです。
子供たちが、遊んでいる時に、その先生が当店に来ました。
ケイタンを見て、「まあ、賢そうね。」といいました。
私は、「ええ、お父さんが獣医さんなんですよ。」と答えました。
(お父さんは、獣医学部を出て製薬会社の研究所に行っていました。)
それで賢そうなのだと納得したようです。

それから少しして、ケイタンが小学校に入学しました。
なんと、その先生が、担任になったのです。
ケイタンは、その先生に怒られてばかりいたそうです。
まさか、そのこが以前、「賢そうね」とほめた子供だとは、夢にも思っていないでしょう。
実は、子供たちの行っていた十文字幼稚園は、
  当時は、自由教育で、子供たちに好きなように遊ばせていました。
十文字幼稚園は、大学の敷地の中にあって、普通の幼稚園より、かなり広い園庭があります。
息子たちは、教室にはほとんどいないで、もっぱら外で遊んでいたようです。

ある時、父兄懇談会がありましたが、妻が、先生に、息子が幼稚園で何をしているのかを聞いたところ、「わかりません」と答えたそうです。

普通の幼稚園は、小学校に入る準備の勉強をさせますが、十文字では何も教えていませんでした。
ですから、ケイタン(内田慶選手)も息子も、無学文盲の状態で、小学校に入学しました。

また、小学校に入学したばかりの時は、十文字出身の男の子たちは、
  始業のベルがなっても、気にしないで遊び続けるので、先生からは怒られるわけです。
こんなわけで、ケイタンも息子も、小学校(別別の)に入ったとたん、
  勉強その他で、他の子たちより遅れていて、苦労することになりました。

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