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100歳になった将軍 

100歳になった将軍        
2011.8.26

2011.8.26の新聞に、8月25日、ボ・グエン・ザップ将軍が100歳の誕生日を迎えたとの記事が載っていました。
えー!生きていたのか、すごいなー。しかし、アア、あれだなとも思いました。
不老長寿の薬とまではいかないが、補腎薬(漢方薬)だな、と直感しました。

若い人には、ボ・グエン・ザップ将軍といっても判らないでしょうから、少し解説します。
ベトナム戦争の時の北ベトナムの国防相です。
ベトナムの独立の英雄というと、ホ・チ・ミンが有名ですが、それに次ぐ独立、建国の指導者です。ベトナムは、フランスの植民地でしたが、将軍は、第二次大戦後の第1次インドシナ戦争では、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍を破り、その後はアメリカ軍と戦い、ついに米軍を撤退させました。実に激しい戦いの人生です。

さて、何が驚いたかというと、100歳という年齢です。
軍人にしては、長命すぎます。
このことは、中国建国の十大元帥の年齢を想起しました。
一般的に、軍人というのは、短命です。若い頃に激しい戦いの日々をすごしたのですから、長生きは出来ません。
なぜ、こんなに長生きなのか?
多分、運動と補剤のおかげでしょう。

中国の十代元帥というのは、中華人民共和国の建国の戦争に特に功労のあった十人の将軍が元帥になりました。少しの例を除いて、ほとんど90歳前後までの長寿を保ちました。
先にも書きましたが、一般的に軍人は、短命ですから、これは不思議なこと、謎です。このことについて、考察した、台湾のテレビをユーチューブで見ました。
気功と白頭山(長白山)の天然の朝鮮人参であろうと、推定していました。
(天然の朝鮮人参は、栽培物に比べて効き目は非常に優れているそうです。1本、日本円で数百万円から1000万円以上します。)
つまり、軽い運動と、補剤(ホザイ:体力を補う薬)ということです。
私もその意見に賛成です。
元帥たちは、朝鮮人参を初めとした、補腎剤を飲んでいたのは、間違いないと思います。
中国人は、日本人と比べ物にならないくらい、養生思想があり、健康への執着心が強いのですから。また、気功もしていたでしょう。一般人でも、気功をしているのですから、軍人である彼らがしないはずがありません。
それらのおかげで、元帥たちは長生きできたのでしょう。

補腎剤について、簡単に説明します。人間は、年をとれば、体の機能がおとろえていき、老化していきます。漢方では、腎が衰えると老化すると考えています。その場合、腎を補えば(体力を補う、ということに少し近い意味)、老化を防ぎ、場合によっては若返ると考えます。こういう薬のことを補腎剤といいます。
漢方薬には、この補腎剤というのが、いくつもあります。その人に応じたものを選べばよいのです。

さて、話を元に戻しましょう。

ボ・グエン・ザップ将軍が、100歳の誕生日を向かえられたのは、やはり補腎剤のおかげだと思います。ベトナム、特に北部ベトナムは、中国の雲南や広西と境を接していて、ほとんど共通した生薬があります。また、ベトナムは、中国文化の影響を強く受けているので、養生思想が強くあるでしょう。
また、軍人ですから何らかの運動もしていたと思います。



さて、昭和薬局にも、補腎薬がいくつかあります。
代表的なものが、ウチダ和漢薬の八味丸(昔風の製法でないとだめ)、参馬補腎丸、派名パナパールカプセル(新薬風の名前ですが、漢方薬です。)などです。
また、いくつかのを組み合わせるという方法もあります。
私自身は、八味丸と三七人参を長年飲んでいます。また、他のも、しばしば組み合わせてます。私の高校の同級生たちは、皆 定年退職して、元気なく、もうすでに老境に入ったような生活をしています。
私は、現役を仕事をしていますが、週1日の休みである日曜日も、ほとんど、勉強会やら何やで、出かけています。
これは、補剤(漢方薬)のおかげだと思っています。また、本当にそうでしょう。


健康で、長生きしたい人、何か衰えを感じている方、ご相談ください。


 埼玉 朝霞で36年 漢方相談
朝霞の漢方    昭和薬局    薬剤師 鈴木 覚
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三七人参(田七)の琉球、日本での初出

三七人参(田七)の琉球、日本での初出


結論から言いますと、
三七人参(田七)は、琉球王国(康煕58年:1719年)に、清よりの冊封使節団の随行員によって、一斤(約600g)持ち込まれました。広西三七という名称で。
これが、日本の領土に、三七人参(田七)が初めて入ってきた最も古い記録です。
琉球王府編纂の『歴代宝案』第15冊の別集上の『冠船之時唐人持来品貨物録』に記載があります。

斤(きん)について。
1斤の重さは、時代、場所によって違いがあります。
日本での1斤は600gです。
現代中国(民国17年、1928年に公布)では1斤は500gとなっています。
しかし、清代の1斤は、604.8gであって、香港、シンガポールも1斤が604.8gで使われ続けています。台湾では、1斤(1台斤)は、600gとなっています。
以上のことから、1719年に、持ち込まれた広西三七は、約600gというわずかな量です。

三七人参(田七)が、琉球王国に初めて輸入されたのは、日本本土よりも、数十年早くのことでした。しかし、かなりの確率で、日本本土に転送されたでしょう。
というのは、清の時代の歴史を記述した『清史稿』には、「所販各貨、運日本者十常八九」とあります。
要するに、琉球に、中国から入った商品の80~90%が日本に運ばれたということです。
薩摩が琉球を植民地化していたので、貿易の利は、薩摩に搾取され続けました。
明治の廃藩置県によって、やっと搾取はおわりました。

琉球王国は、長いこと仲介貿易に活路を見いだしていました。
中国は、多くの国に対して朝貢という形での貿易しか認めませんでした。
琉球は、中国には朝貢という形で、貿易をしていました。

三七人参が、いつ日本に入ってきたのだろうか?
ということを、田七について調べ始めたときから、疑問に思っていました。
おそらく、江戸時代に琉球王国に入り、それから日本本土に転送、転売されたのだろうと推定しました。

三七人参(田七)は、古くから生薬として利用されてはいましたが、広く中国本土で知られるようになったのは、明末の李時珍の著作「本草綱目」からです。
それ位の時期から、中国本土で流通するようになりました。日本の江戸時代に当たります。

中国と琉球の間で、多くの商品が出たり入ったりしました。
そのなかに、三七人参(田七)もあったのではないか、手がかりはないだろうかと調べてみました。



『明清中琉航海贸易研究』謝必震先生著、 海洋出版社という本を調べたところ、手がかりが見つかりました。
その史料の多くは、琉球王府の編纂した『歴代宝案』に依拠しています。

それによると、明と清の時代に、合計23回 冊封使が、中国より琉球に派遣されました。
琉球からは、明の時代には、時期によって2年に1回、5年に1回、十年に1回くらいの頻度で朝貢使節が派遣されていました。
清の時代は、おおむね2年に1回、朝貢使節が派遣されました。

ただし、赤嶺誠紀先生の『大航海時代の琉球』の記載によれば、明の時代には537回、清の時代には347回、合計884回、琉球より、朝貢使節が中国に行っているとのことです。
この間に、実に膨大な物資のやり取りが行われてきたことになります。

冊封使
冊封使(さくほうし)というのは、中国の皇帝が、朝貢国の王様を、その国の王として認めて任命するための使節のことです。
中国というのは、世界の中心にある中華国家という意味です。
中華思想から見ると、全世界は中華国家の皇帝のものであると考えています。
従って、全世界が中国の支配下にあることになるのですが、現実はそうでないので、中国本土を除く其の他の地区は、地元の野蛮人の王に統治を任せることにするわけです。
そこで、全世界の支配者である中国皇帝が、地元の誰かを王様に任命してやる、ということになります。
しかし、現実には、中国周辺の弱小国家しか、そのフィクションに従ってくれないので、中国の外交は、必ずゆがむとになります。




朝貢について
また、中国皇帝の徳が偉大であれば、野蛮人の酋長(王様など)が、自発的に貢物を持ってくることなると考えているわけです。
明の建国者である朱元璋 、太祖洪武帝は、建国と同時に周囲の国に使者を遣わして、入貢を促しています。
中国皇帝である朱元璋が、偉いことを認めろ、ということです。
多くの国から朝貢使節が来れば来るほど、その皇帝の徳が高いということになります。
ですから、小国でも、朝貢使節がくるのが、中国皇帝や支配層にとっては嬉しいのです。
しかし、なにもしなければ、どこの国も、中国皇帝にひれ伏して、みつぎものを持っていく国はありません。
そこで、周辺の国家が、貢物を持ってくれば、その何倍もの物を与えることによって、朝貢を促すわけです。
また、朝貢国にとっては、旅費も大変かかりますので、旅費もお土産つきで、負担してくれるわけです。

琉球は、明の呼びかけに応じて、朝貢をしました。
というよりは、琉球は、元から、機会さえあれば朝貢したがっていました。儲かりますから。
琉球は、明の時代の初期には、2年に1回、二年一貢といいますが、朝貢使節団を中国に派遣しています。その後、5年に1回、十年に1回など、時代によって違いますが、派遣しています。
清の時代には、おおむね2年に1回でした。

使節団は、那覇港を出帆して、3日から10日で、中国の福建あたりの海岸にたどり着きます。後は全部、中国政府が、北京の朝廷に行って帰ってくる旅費などのすべてを、負担してくれます。それだけではなく、使節団の大使、副使など身分の上下に応じて、給料や衣服、食品などもくれます。
北京の朝廷に行くと、礼部の役人が、朝廷での皇帝に対する、挨拶の仕方まで、伝授してくれます。
琉球からの使節は、公的な荷物から、私的な荷物まで持ち込んできています。
公的な荷物というのは、琉球の王から、中国皇帝に対する荷物、つまり貢物のことです。
私的な荷物というのは、使節団の個人が持ち込んだ荷物のことです。身分の差によって持ち込める量は違いますが、みな何かを持ち込んできています。
琉球王の貢物に対しては、中国皇帝から莫大な答礼の品をくれます。下賜するという表現を使います。中国皇帝が臣下である琉球王に与えるという意味です。
私的な荷物は、使節団の個人が、個人の金儲けのために持ち込んでいるわけです。持ってきたものを売って、その代金で、金に成りそうな商品を買って帰り、それを帰国後売りさばけば、大もうけが出来ます。
(ただし、薩摩に殖民地にされた後では、個人の利益まで、薩摩に搾り取られたでしょう。)
これが、所謂 朝貢貿易です。公的なのと、私的なのとが混じっています。
この間に、医薬品をふくむ、多くの物品が琉球に輸入されました。


さて、冊封について
冊封というのは、朝貢国の王の代替わりの時に、新しい王を任命することを言います。
元の王様が亡くなれば、その王子が王位を継ぐことになりますが、勝手に後をついで王にはなれません。なぜなら、全世界は中国皇帝の所有物、領土ですから、中国皇帝が王として任命しなければ、王ではないということになります。
そこで、代替わりの時に、新しい王を任命、つまり冊封する使節が中国皇帝より派遣されます。
ただし、代替わりの時のすべてに、冊封使が派遣されたわけではありません。
これが、冊封使節です。
冊封使の乗る船のことを、封舟とも言いますが、琉球側からは冠船とも言います。
冊封時に行われた貿易のことを、冊封貿易とも、冠船貿易とも言います。


まず、琉球から福建へ迎えの船が行きます。冊封使の乗った船の道案内をしつつ、那覇港に向かいます。
琉球から大歓迎を受けて、冊封使は中国皇帝の代理として、新しい王を琉球王に任命します。
その時に、中国皇帝から新王に多くの品が下賜されます。
国王の王としての王冠や服など、王妃の王妃としての服なども下賜されます。
また、冊封船には、使節と随行員、兵士、船員など多くの人が乗り込んでいます。
それぞれが、琉球で売るための荷物を持ち込んでいます。
薬を含む多くの種類の品が、こうして琉球に入ってきました。
冊封使節団の総人数は、その時によって違います。少ないときで、2~300人、多いときは700人以上でした。
洪武年間には500人が冊封船に乗り、各個人が約100斤の行李を持ち込み、夷人(イジン:野蛮人、この場合は琉球人。中国人は、自分ら以外はすべて野蛮人だとして蔑視しています。今も、基本的には変わっていないでしょう。)と貿易した、とあります。
このことからしても、実に多くの品物が琉球にもたらされたことになります。

清代の康煕58年(1719年)の海宝、徐葆光らが冊封に来た時に携帯した荷物に関しては、携帯者、品目、数量が、琉球王府編纂の『歴代宝案』第15冊の別集上の『冠船之時唐人持来品貨物録』に記載されているとのことです。

その中に、探していた「三七人参(田七)」についての記載を見つけました。
長班の「王爵」という人が、「広西三七を一斤」持ち込んでいました。
長班というのは、正式な使節の一員の個人的な使用人、家来という意味です。
この王爵という人は、他の長班よりも多くの荷物を携帯していますので、比較的身分の高い人の家来のようです。
わずか1斤(約600g)ですが、これが、文献上のもっとも古い記載、初出ではないかと思います。
1719年に、「三七人参(田七)」が琉球に初めて入ってきました。
日本の領土、本土ではなく植民地の琉球ではありますが、に初めて入って来ました。

ちなみに、『冠船之時唐人持来品貨物録』には、計114人の貨物携帯物のべ1054件が記載されています。
しかし、正使や主な使節団の人たちの携行荷物の記載はありません。おそらく、身分の高い使節たちの携行荷物は、調査することは失礼なので出来なかったのでしょう。また、使節や船の防衛のために軍人が乗っており、船を運航するための船員水夫たちもいるはずですが、彼らの荷物についての記載もありません。
それですから、さらに多くの品目が、琉球国にもたらされたはずです。
上記の数字から、冊封使一行の総人数は、2~300人位でしょう。

「三七人参(田七)」についての、記載はたった1行ですが、そのほかの時にも、輸入された可能性はあります。

さて、この「三七人参(田七)」のその後の運命は、想像するほかはありません。
王爵さんは、琉球に行くに当たって、金に成りそうなものを、中国で買い集めたりしたのでしょう。その時に、どこかの薬屋で、「金不換」と言う位に貴重な薬だから、買って持っていくように勧められたのでしょう。高いので大金をはたいて、わずか1斤だけ買って、持って来たのでしょう。
ところが、残念なことに、当時の琉球では「三七人参(田七)」については、まず知られていなかったでしょう。
ですから、正当な評価を受けずに、朝鮮人参の偽物くらいに思われて、安く買い叩かれたでしょう。王爵さんは、持って帰るよりはましだと、泣く泣く安く売ったのでしょう。
琉球で買い取られた、「三七人参(田七)」は、薩摩の手によって日本本土に運ばれて、偽の朝鮮人参として売られたのでしょう。
これが、数十年後でしたら、広東人参として、日本本土で正当に評価されたかも知れません。



参考までに、清代に琉球が、中国より輸入した薬材と香料の全品目を以下に紹介します。
生薬もあれば製剤もあります。また、解りにくい生薬や印刷間違いと思われるのもありますが、煩雑なので、解説は省略させていただきます。

薬材与香料
  粗薬材、白帆、砂仁、雄黄、川貝母、川附子、芦薈、冰片、姜黄、紅花、豆蔲、樟脳、洋参、黄連、硼砂、黄丹、竜脳、肉豆蔲、小割肉桂、猪苓、甘草、甘松、桂皮、良姜、使君子、麻黄、大楓子、烏薬、大腹皮、山帰来、滑石、連翹、生地、羚羊角、蘇玉竹、阿膠、白鳳丸、抱竜丸、鹿茸、琥珀、万金丹、燕窩 、麝香、神曲、大黄、三仙丹、丹朱、黄芪、川芎、川厚朴、高麗(参)、腹甲、砂薬丹、高麗須、陳李済蝋丸、藿香正気丸、烏須人参、薄荷油、万霊丹、拾痛丸、吉林真老人参、干金丹、青果散、野山人参、梅花点舌丹、回春丹、金圭(哪だ)、蒼朮、桂附理気丸、羊角黒元参、川朴硝、土茯苓、桔梗、定中正気丸、制川附子片、穿山甲、蘇州祠内陳三、范志神曲、白製膏薬、蘇州内陳、雄黄精、川黄連、貝母、丁香油、牛黄、熊胆、蟾酥、(鹿)角膠、次茸、山羊血、川蓮、云南薬珀砕、薬犀角、白附、石棗、半夏、五加皮、白粉、当帰、百部、玄参、庄黄、地黄、蓁艽、
大元枝、拘杞、正夏禾、慶応痘保和丸、白禾、大茴、楓子、痢症香蓮、解毒辟瘟丹、天竺黄、琥珀粉、梅花冰片、馬湖川蓮、道智川蓮、道智中川蓮、防已、広西三七、広東陳海、槐真正牛黄丸、大丹皮、遠志、郁金、通草、木通、柴胡、陳皮、劈砂、北五味、束仁、棟冬、万応膏、牛黄丸、寸金丹、蘇合丸、烏金丸、琥珀抱竜丸、桂花油、蘇合油、黄柏、牙散、春方、雑薬、南曲、刀明磺(こう)、香油薬、麦冬、百芷(し)、沢瀉、玉竹、淮山、甘石、五味、石斛、紫苑、車前子、苦参、丹参、亀板、益母草、山梔子、夏枯草、白薇、地骨皮、枳殻、射干、牡蛎、前胡、金銀花、禄礬(縁礬)、天冬門、白蝉皮、巴豆、呉茱萸、首烏、レイシ核、杏仁、紫蘇、蓮須、款冬花、熟地、蛇床子、白芥子、防風、金沸草、木瓜、斗別子、天麻、穂荊芥、扁豆、天南星、山茱萸、杜仲、厚朴、肉烏梅、山*、血褐、畑辛、白芍、赤芍、甘菊花、耳草、
藤黄、蘇党参、女貞子、桃仁、枇杷葉、桔核、糸瓜絡、欠実、木賊、荷帯、蛤蚧(かい)、酸棗仁、葛根、没薬、白僵蚕、木香、安息香、束香、奇楠香、官香、沈香、蘭花香、檀香、速香、丁香、粗香、銭香、広香、上檀香、香料、浸油香料、茄南香、宜香、束銭香、長寿香、金束香、好束香、上好安息香、帳香、楠木、白檀、胡椒


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心の病と栄養状態   その3

心の病と栄養状態   その3

⑥、パニック障害の女性・・・貧血と低血糖
ある時、電車の中で、「急激な動悸と激しいめまい感、手足のしびれ感」かあったそうです。
その後、内科を受診したが、特に異常なしと診断された。
再度、似たような症状が出たので、今度は精神科を受診し、パニック障害と診断された。
初めは、睡眠薬のみを投与され、一時はよかった。
その後、薬がどんどん追加された。そのうち、仕事がうまく出来なくなり、通勤が出来なくなり、休職した。
(向精神薬のためでしょう。眠気が出たり、判断力が低下したり、ヤル気が起こらなくなったりします。)
その後、著者の先生を受診。
所謂、検査値では貧血ではないが、其の他のことから潜在的な貧血と診断された。
また、時々、低血糖を起こしていることが判明した。
食事指導と、鉄剤、ビタミン剤などの投与で改善した。

(なるほど、パニック障害と、貧血の症状は似ています。
漢方には、「血虚」という考え方があります。
血液の絶対量が少ないという考え方です。
西洋医学で言う貧血は、女性の場合、血液1dl当たりのヘモグロビンが12g以下の 場合を言いますが、それだけでは、必ずしも、全体での状況はわかりません。
例を上げると、こんな感じです。
もし、、血液の絶対量が、標準か標準以上でしたら、額面どおり貧血ではありません。
しかし、血液の絶対量が少なかったら、これが漢方でいう「血虚ケッキョ」です。たとえ検査値がギリギリ合格でも、体内にある赤血球、ヘモグロビンの絶対量は不足していることになります。
こういうことは、検査では出ないので、本当に貧血か、貧血でないかの、正確な判断は難しいわけです。血液の絶対量は、今のところ調べる方法はありませんから。)

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以上のように、主に精神と栄養との関係のあったものを見てきました。
漢方の治療法には、不足している場合は補い、多すぎる場合は減らす、という方法があります。
考えてみれば、当たり前のことです。
何かを料理することを、想像してみてください。
材料の何かが足りなくても、何かが多すぎても、変な味になってしまいます。
ある種類の病気も、何かが多すぎ、何かが足りなくいことが、しばしばあります。

簡略化して例をあげてみましょう。
貧血は鉄が不足して起こる病気です。      ・・・・・鉄剤
骨粗鬆症はカルシウムが不足している病気です。 ・・・・・カルシウム剤
高脂血症は脂が多すぎる病気です。       ・・・・・降脂剤
糖尿病は糖が多すぎる病気です。        ・・・・・糖分の制限
冷え症は、熱の不足している状態です。     ・・・・・温める漢方薬
気力のないのは、エネルギーの不足している状態です。・・・・・気剤(気力を増す漢方薬)

とまあ、多くの病気、症状が何かが多い少ないで、解釈でき、対策が立てられます。

精神的な病も、何かが足りなく、何かが多すぎる場合が、しなしばあります。
精神的なことに関係のあるセロトニンという物質があります。これが、不足するとうつ病の原因の一つとされています。セロトニンは体内で合成されますが、トリプトファンというアミノ酸が原料です。
ですから、薬に加えてアミノ酸(トリプトファン含有の)を投与すると、効果的なのはそのためです。
これは、ほんの一例です。多くの栄養素と精神とか病気には関係があります。

精神的な病気とされている、うつ病、統合失調症、登校拒否、引きこもり、多動障害など、また自律神経失調症などの対策に、栄養的なことを考慮するのは、必要なことだと思います。
また、たとえ何らかの効果がなくても、食生活を正すことは良いことです。

先にも書きました、特別なことは何も必要ありません。
少し前の日本風の食生活に戻せばよいのです。
(むしろ、これが難しいのかもしれませんが。)

それでも、うまくいかなければ、或いは早く改善したかったら、
病院での治療の他に、食事の改善や栄養剤的なものを取り入れればよいのです。

例を貧血にとれば、
食生活を改善すれば、いずれは改善します。しかし、年齢が高いとか、或いはひどい貧血の場合は、薬や栄養剤(この場合は鉄・ミネラル剤)、造血を促す漢方薬などの力を借りればよいのです。

また、今回は栄養素と精神的な病、心の病について取り上げましたが、冷えとの関係も大いにあります。体温が低いと、心の健康にも、影響があります。
また、漢方では、精神病などに、「駆お血剤(くおけつざい)」が経験的に有効とされています。「駆お血剤(クオケツザイ)」というのは、オケツを取り去るという薬です。
この「オケツ」というのは、血流が悪かったり、血液粘度が高い状態(血液ドロドロ)、血管外に出た血液のことを指します。
漢方では、血液がきれいで、順調に流れていれば、病気(精神病、うつ病なども含めて)にはならない、と考えます。
うつ病などの薬を飲んでいて、相談に来ている方もいますが、温灸をして温めると、気分が落ち着いたり、ほっとしたりします。
温灸は体を温め、血流を良くします。
温灸は、全く副作用がなく、素人でも簡単に出来ますので、これを治療の補助に使ってみるのも一つの方法ですう。
去年も今年も暑い日が多いのですが、ほとんど毎日、誰かに温灸をしますが、熱いという方はほとんどいません。
子供さんでも。
それだけ、夏であっても体が冷えてい方が多いのですね。

◎温灸については、別のページを参照してください。

繰り返しますが、心の病と、食生活、栄養不足とは関係があります。


追記:この文章を書いている間に、やはり栄養と精神に関することがありました。
①、浪人中だが、体力がなく、勉強がはかどらないという若い男性。
このくらいの若者が体力がないとは、大きな病気で無い限り、思えません。精神的なもの、浪人ですから、が無いことはありえません。
話をしながら、温灸をし、パナパール(新薬風の名ですが、漢方薬です)を飲んでもらいました。また、当然、食生活についても簡単な注意をしました。冷たいものを控えるようにという程度ですが。
後日、お母さんが買い物ついでに立ち寄ってくれました。元気になって、晴れ晴れとした表情になったとのことです。話をした、ということもありますが、この漢方薬には、アミノ酸が多く含まれています。そういうことと、相まって、心のほうにも、良い影響が出てきたと思われます。

②、40代の働きざかりの男性。(来店しているのは、家族)
上記の、お母さんと話をしている時に、丁度 再来店。
体調が上がったり、体調が良くなったりした他に、最近なんだが穏やかになってきたとのことです。漢方薬を二種類おすすめしましたが、その内の一つには、アミノ酸が入っている薬です。

漢方薬を飲み始めたら、体調が良くなるほかに、気持ちが落ち着いてきたとか、怒りっぽくなくなったとかいうことが、しばしばあります。

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心の病と栄養状態   その2

心の病と栄養状態   その2

③、引きこもりと家庭内暴力の若い男性・・・栄養補給で改善

もともとは、成績優秀な子であった。
小学校の高学年くらいから、学校になかなか行かなくて、部屋が散らかりがちになり、反抗的に成った。
中学2年生くらいから、夜遅くなるまで勉強するようになったが、夜食にカップラーメンやスナック菓子、炭酸飲料などを大量に摂るようになった。
(このような食生活をしている子供は、最近は多い。当然のことながら、ミネラル、ビタミン、食物繊維、アミノ酸などの不足を引き起こします。こういうことが、今、子供たちに起こっているさまざまな問題の原因の一つではないかと思われます。)
そして、反抗的な態度がまた出てきた。
3年生くらいになるとよくキレルようになった。朝起きられなくなる、友人ともトラブルを繰り返すようになる。

それでも、成績が良かったので、地元では名門の公立高校に入った。
初めのうちは、トップの成績だったが、遅刻が多くなり、クラブや塾などでもトラブルを起こし続けた。教室でも突然騒ぐようになったりした。
スクールカウンセラーからは、お父さんが単身赴任で不在がちなのが原因と指摘された。
それで、お父さんは、無理をして家に頻繁に帰るようにしたが、一向に改善しなかった。
(こういう指導は、しばしばなされるが、効果はあがっているのでしょうか?多分、ダメでしょう。もっと別な理由でしょう。)

そのうちに、精神科を受診した。さまざまな薬が試されたが、一向に改善しなかった。
体がだるくなり、朝起きられない状況が更にひどくなった。
(これは、向精神薬の特長。向精神薬の多くは、眠気、ダルさを引き起こします。)

高校3年生になったが、学校へは行けず、ほとんど家に引きこもり、試験だけは保健室で受けさせてもらい、どうにか卒業だけはさせてもらった。

著者の先生を受診するときには、7種類の向精神薬が投与されていた。
(心療内科より投与される患者さんの薬は、初めは1,2種類ですが、だんだん増えてきます。それで、効いていればよいのですが、そのうち効かなくなったり、何か別の症状が出てきます。患者さんがそのことを先生に訴えると、それに対応した薬が追加されます。或いは、別の薬に変更されます。また、こういう患者さんは、寝つきが悪かったり、途中覚醒したりしますので、睡眠薬などが投与されます。睡眠薬は、すぐに効かなくなるので、患者さんは追加を要求します。こうしたことが繰り返されて、薬がどんどん増えてきます。)

検査をしたところ、肝数値が少し悪く、コレステロール値が低めでした。また、糖尿病ではないが、血糖値のコントロールがうまくいっていなかった。

治療としては、食事指導と、運動指導。アミノ酸、カルシウム剤などの投与。
1年7ヶ月後には検査数値は正常になった。
疲労感が少なくなり、友人とも旅行に行けるようになった。
また、大学に入学したいとの希望を持つようになり、予備校に通い始めた。

④、うつ病の男性・・・亜鉛不足
経過:サラリーマンで、休日出勤するくらい元気で、有能だった。しかし、少し前から、成績が落ち、元気も無くなって、仕事をやめてしまった。
朝起きられない。やる気が起こらない。外出しない。そのうち、引きこもり状態になった。

著者の先生の病院に来たときは、精神科よりうつ病と診断されていて、5種類の向精神薬を出されていた。

(朝起きられない、やる気が起こらないのは、うつ病のためだけではないと思われます。向精神薬を多く服用すると、こういう症状がしばしば起こります。特に、睡眠薬が大量だと、朝起きるのがつらくなるのが普通です。最近は、インターネットで向精神薬の副作用を、誰でも簡単に調べられるようになりました。今投与されている、薬についても、調べるとよいでしょう。)

検査をすると、肝機能低下と亜鉛の欠乏が見つかりました。
亜鉛やカルシウム、ビタミンなどを投与し始め、数ヵ月後から就職しようという意欲が出てきたとのことでした。

(亜鉛は、さまざまな生理機能をもつミネラルです。亜鉛が不足すると、味覚障害を起こすことは、広く知られていますが、不足すると精神にも影響します。また、検査では、亜鉛が不足とのことですが、亜鉛だけ不足しているのではなく、其の他の微量元素、ミネラルも不足していると考えるのが妥当でしょう。
ミネラル不足は、多くの病気を引き起こしますが、そのことは、意外と知られていません。これは、おそらく、ミネラルを補給するもので、医療保険のきく薬が、今のところないことにも由来するのでしょう。
また、うつ病の人は、やはり冷え症がほとんどです。)

⑤、統合失調症(と診断されていた)女性・・・栄養不足と血糖調節障害
経緯:中学時代にいじめにあう。
16歳ころから落ち着きがなくなる。18歳位から、幻聴などが起こる。
19歳で、精神科を受診し、統合失調症と診断される。
薬がどんどん増えて、向精神薬が6種類投与されるようになる。
著者の先生の医院に来たときには、向精神薬が、6種類投与されていた。
食事を聞くと、ほとんど肉を食べていない。ペットボトルの清涼飲料水を良く飲む。スナック菓子をよく食べる。
(これを、見たら、もう対策は想像がつくでしょう。肉類が少ないと、タンパク質、アミノ酸不足になります。セロトニンが不足すると、精神のバランスが崩れ、うつ病になったりするとされています。セロトニンはアミノ酸の一種であるトリプトファンが不足すると作れません。その他の多くの生理活性物質もアミノ酸が必要です。)
検査すると、普通の検査では出ない「血糖調整異常」であったそうです。
食事指導と、ビタミン、アミノ酸などの投与で向精神薬から離脱できたとのことです。
また、意欲も出てきたそうです。
(おそらく、このほかに何かの薬を投与したのでしょうが、本には記載されていません。)

著者のコメントには、統合失調症と診断された人の多くに、血糖調整異常が見られるとのことです。
(もし、ご自分、又は周囲の方で、統合失調症、其の他の精神病と診断されている場合、食事の内容=栄養状態が良くなさそうだったら、とりあえず食事の内容を変えてみるといいでしょう。
どうするかというと、何も特別なことをする必要はありません。少し前の日本的な食事に近づければよいのです。
何かの症状で、漢方薬を服用していると、平行して精神的な状態が改善することは、多々あります。それは、漢方薬の中には、薬としての成分のほかに、栄養分になるものが含まれていたりするからです。そういうことを頭に入れて、選薬すると、効果的な場合が多いようです。
また、漢方薬を選薬する際に、食事について聞かれることがあると思いますが、それも大事な情報です。
また、精神的な病のある人は、漢方的にはほとんど冷え症です。)

心の病と栄養状態  その1

心の病と栄養状態   その1

最近、店頭で相談に当たっていますと、単に病気だけではなく、精神的、心の問題と関連していることが多くなりました。
また、体の病気、心の病気にも、栄養の問題(食事の内容)が関連しているの多く見受けます。
何かを解決しようという場合に、漢方薬だけではなく、栄養補助食品などを組合すとうまくいくことが多くなりました。もちろん、食事についても、アドバイスをすることが多くなりました。
漢方では昔から、食事指導を重視しています。単に何かの薬を飲ませれば、それでよいということは、あまり多くはありません。漢方薬と、食事指導は同時に行わうと、症状の改善が早くなります。

最近、ある本を読んでいたら、心の病を治すのに、栄養の不足を調べて成果を上げた例が記載されていました。

*****************************************************
①、多動障害の子供・・・糖分の摂りすぎと栄養不足

止まることなく常に動き回る。集中して遊ぶことが出来ない。すぐに飽きて動き回る。
他の子供と一緒に遊んでいられない。
また、日中は動き回って疲れているはずなのに、夜ぐっすり眠ることがない。少しの物音で、眼を覚ます。よく、夜泣きをする。5歳だが、夜はオムツをしている。
お菓子とパンはよく食べるが、普通のご飯やおかずを食べない。甘いもの、ジュースや飴などが好きで、また欲しがるので、よく与えている。
(もうここに、答えが見えています。完全な栄養障害ですね。ここには書いていませんが、冷たい飲み物、アイスクリームなども、ほしいだけ飲んで食べていることでしょう。食事だけでなく、たいてい冷えの問題を伴っています。)
注意しないと、どこに飛び出すか判らないので、親は目が放せない。

著者の先生の病院に来る前に、他院で多動性障害と診断されていた。

検査をすると、甘い飲み物を飲んで1時間たつと低血糖を起こしていることは判明したとのことです。低血糖ではからだが動きませんから、だらだら食いをすることになったしまったというわけです。

治療としては、各種の栄養剤を与える。甘いものを排除して、正常な食生活をさせるというものでした。
3ヶ月くらいたったら、だんだん落ち着いてきて、集中力もついてきた。

(ほんの少し前には、多動性障害の子供は、ほとんどいませんでした。ところが、最近、多動性障害と診断されていなくても、それに近い感じの子供が多くなった感じがします。これは、やはり、冷たいものの摂りすぎと、食生活の偏りに由来する感じがします。
甘いものを摂りすぎると、それだけでカロリーが足りてしまいますので、他の食品をたべなくなります。そうすると、各種の栄養素が不足します。ビタミン、ミネラル、食物繊維、フィトケミカルなど。その結果、各種の肉体的、精神的な病気、不都合なことが起こります。)


②、登校拒否と仮面うつ病の少年・・・ビタミンB群不足
中学校に入学した頃から、朝起きた時に吐き気や頭痛を訴えるようになった。
(子供が、気持ちが悪い、眼が回る、頭がいたい、お腹が痛いなどと繰り返したら要注意です。本当に体の具合が悪い場合もあれば、精神的なものから来る場合もあります。)

二学期になると、症状がひどくなり、遅刻や休むことが多くなった。
学校の先生から心療内科を受診することを勧められた。そして、精神科医から仮面うつ病と診断された。

著者の先生の病院に来る前に、心療内科より睡眠薬が3種類投与されていた。
睡眠薬を服用してから、頭痛や体のだるさは増悪したとのこと。
(中学生に睡眠薬を3種類も飲ませたら、朝は起きられないし、思考力は低下するのは当然です。このくらい投与されていれば、1日中薬が体内に残留しますから、だるく、やる気が起こらないでしょう。余分なことは考えないかもしれませんが、学校に行く気力も失せるでしょう。)
検査で、軽度の貧血と、ビタミンB群の欠乏、及び血糖値の乱れがありました。
(食生活について触れてはいませんが、上記のことから、食生活の乱れがはっきりと読み取れます。)

治療としては、アミノ酸、ビタミンB群、鉄剤などを投与。
その結果、2週間後くらいから朝の目覚めが良くなり、朝ごはんを食べられるようになった。少しずつ、正常な学校生活を送れるようになった。しかし、友人との付き合いで甘い飲み物の摂取、スナック菓子を多く食べるようになったら、また朝の目覚めが悪くなり、再び嘔き気や頭痛が出るようになった。
そのご、それらを排除したところ、正常な生活を送れるようになった。

(登校拒否には、精神的な面が大きいでしょうが、栄養的な面からも対処してることも
必要ではないかと思います。当店でも、登校拒否などの場合は、栄養面も含めて考慮し、選薬しています。また、登校拒否児のほとんどが冷えています。
 漢方薬で栄養補給的なもので、精神的な症状といわれているものが、改善することがしばしばあります。)

暑い夏と受胎率

暑い夏と受胎率

今年(2011年)の夏は、最近は大抵そうですが、非常に暑い夏となりました。

夏の暑さと、受胎率については関係があるそうです。

『タイミング妊娠法』(市川茂孝先生著、農村漁村文化協会発行、1991.6.30)という本に、夏の暑さと、男性の精子について、興味深いことが記されていました。

ご存知のように、精巣は、体の外にぶら下がっています。
それは、精子は高温に弱いので、精巣を体外に出して冷やすためです。
そうすると、今年のように高温の夏ですと、何か影響を受けそうです。
このことについて、上記の『タイミング妊娠法』の「第3章の1、健全な精子の生産」の項に、このことについての記述がありました。

牛は、夏になると受胎率が下がるそうです。
しかし、夏が暑くても、雄牛の精巣の温度が上がらないようにすれば、受胎率の低下を防ぐことが出来るそうです。

アメリカでの調査(1988年)によれば(これは、人間ですが)、
日中の最高気温が32,3度になるアメリカ南部では、男性の総精子数が平均14.5%減少し、残った精子の運動精子数も16.5%減少するという。
ただし、冷房した室内で働く男性の精子の減少は起こらないという。

これから見ると、今年の夏は暑いので、そのままにしておくと精子が減少、運動率も減少します。
しかし、精巣を冷やしてやれば、受胎率を下げないですむということになります。

ちょっとだけ、気をつければいいということでしょう。



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三七人参(田七)の日本で初出   その2

三七人参(田七)の日本で初出   その2



『叢桂偶記(そうけいぐうき)』における「三七人参(田七)」の記述

原南陽先生の『叢桂偶記(そうけいぐうき)』より、広東人参の項を、現代文に直して紹介します。
なお、原文は、著作権が切れていますが、訳文の著作権は、私 鈴木 覚に帰属します。引用は、自由にしてかまいません。ただし、捻じ曲げないでという条件でです。

広東人参についての一部を引用しようかな、とも思ったのですが、全文を紹介した方がよさそうなので、全文を現代語訳しました。
文中に、銭(せん)とか分(ぶ)とかが出てきますが。重さの単位です。現代中国でメートル法を採用してからは、一銭は5gと定められています。
ところが、薬の単位としては、一銭は3gのようです。
『中薬臨床手冊』(上海人民出版社)には、少し以前の一銭は3.125gであったが、この本では、一銭を3g、一分を0.3gとするとしてあります。
また、時代、地域によって一銭の重さが違いますので、文中の一銭は、大体3g(五分は1.5g)前後とすればよいでしょう。
なお、日本での一銭は3.75gです。五円玉の重さです。

なお、現在「広東人参」は「西洋人参」を指すことか多いようです。
「西洋人参」は、アメリカに産するウコギ科の植物で、朝鮮人参の仲間です。
以下の文中に「アメリカソム」と出てきますが、「西洋人参」と混同したのかも知れません。

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広東人参   『叢桂偶記(そうけいぐうき)』より
世間には、「広東人参」と称するものがある。往年、役所はその売買を禁じていた。というのは、それは人参の偽物と思われていたからである。最近、ようやくその禁制が解かれたので、手に入れられるようになった。世人は、これを、韓種の人参より優れているとして、貴重なものとしている。
ある人は、「三七人参(田七)」を沙参(シャジン)であろうといい、ある人は零余子(ムカゴ)人参であろうと言っている。
紛紛として、はっきりとしていない。
しかし、実際にそれを使用したものは、それが人参の類ではないことがわかる。
しかし、その味は、大体人参に似ており、人参として疑わずに用いている。

少し前に、長崎の人が、「朝鮮人参、広東人参、韓種人参、竹節人参」の4種を、オランダの外科医の「ヘルマニス・レツテキ」に見せて質問した。
すると、「広東人参」以外は知らないとのことであった。「広東人参」のことを、「アメリカソム」と答えた。
寛政丙辰年(1796年)、オランダ人が、「広東人参」を「アメリカソム」という名称で若干斤、持ち込んだ。
これで、この物産(広東人参)が、アメリカ産であることがわかった。

ところが、最近こんなことが判った。
最近、オランダ語の通訳の楢林達夫が水戸に来た。それで、私は彼に会って、この稿を示した。
楢林は、「ヨーロッパには、人参は産しません。ソムは参(人参)のオランダ語です。参の音はサンですから、ソムと誤って聞こえたのでしょう。」との答えであった。

以前、広東人の呂大圭という者が、長崎に来て、その地は人参を産しない、と上書したことがある。
『大明一統誌』を見ると、広東は昔の百粤(粤の音はエツで、越とおなじ。広東の古名)の地である。そして、その地には人参を産しないとあった。
『広東新語』にも、越(エツ)には人参を産しない、とある。

蘇長公は、かって羅浮(広東の地名)に人参を植えてみたことがあった。
そして、このような詩を作った。
「上党天下脊 遼東真井底 霊苗此孕育 肩股或具体 移根到羅浮 越水灌清泚 地殊風雨隔 真味終祖禰」
(注:意訳すると、こんな感じでしょう。「朝鮮ニンジンは、遼東(今の中国東北部、旧満州)に生育する。苗を広東の羅浮に移植したが、水や風土の違いからか、育たなかった。」)

これから見ると、広東に人参が産しないことが知れるであろう。

最近読んだ、徐慶登が序文を書いた『医便』には、「金不換三七」について記載されてれている。
「金不換三七」は、粤西(広西)の惟右、江南などの州(これらの地名は不明)より産出する。蛮夷の最たる地である。粤西(広西)は広東の一部である。すなわち、いわゆる広東人参は、「金不換三七」である。
このものは、昔から珍しい奇薬である。
故に、世に広東人参を用いる者は、偶々、株を守っているようなものである。

本草綱目の三七についての解釈は、まとまっていない。
李時珍は、『本草綱目』で、「三七」について、
近頃、伝えられている一種の草は、すなわち今言うところの「三七」である。「金不換」と同じではない、と述べている。
その主治については、『綱目』の記載、『瀕湖集簡方』、『医便』もみな同じである。また、孫光裕の『血証全集』にも記載されている。共に、補気の説は無い。ただし、血に係わる薬としている。
広東人参を用いているものは、そのことを知っている。
病に使っているものは、誤って用いているものは少ない。

集簡方にも本草綱目にも、広東人参について記載されているが、今は『医便』と『血証全集』に記載されているのを記す。

『医便』には、以下のように記載されている。
金不換三七の経験的に優れた処方を記す。
三七は、粤西(エツセイ:広西のこと)の惟右江南などの州より産出する。蛮夷の最たる地区である。
険しい山や谷の間に産する。真に、人参の味に似ている。茎の上には、7枚の葉があり、下には、3本の根がある。それで、三七と名づけられた。金にもたとえられるほどなので、またの名を「金不換」ともいう。またの別名を「血見愁」ともいう。専ら、血(ケツ)の経絡に帰する病気を治す。これほど血(ケツ)に係わるものに効く薬は無い。
使い方を以下に記す。
一、刀傷、矢傷、跌打損傷の出血して止まらないのを治す。少量を自分で噛み潰して、患部を覆えばすぐに治癒する。
一、婦人の赤白帯下には、一銭を服用する。研いで粉にして、温ためた酒で服用する。
一、吐血を治すには一銭を服用する。まず噛み潰して、茅花煎湯または米湯で服用する。
一、男女の熱病で口歯が開かないのを治す。生姜で歯をこすって、姜湯で三銭を服用する。
一、婦人の産後の敗血で痛むのを治す。一銭または五分を研いで粉にし、艾葉煎湯、老酒で服用する。自分で噛み潰して飲みこんでも良い。
一、男女の、打たれて青く腫れて、消えないのを治す。一銭を噛み潰して細かくし、患部に塗れば、たちまちに消える。
一、男女の、眼を害すること甚だしく、眼が開かないのを治す。一銭を噛み潰して、眼の周囲に塗れば、一晩ですぐに治癒する。(原注:『医鑑』には、水に溶かしてまぶたに塗る、とある。)
一、男女の、紅白痢疾を治す。一銭を用いる。研いで粉にして、木香黄連煎湯または米のとぎ汁で服用する。
一、蛇によるかまれ傷、虎による傷を治す。一銭を磨いて粉にして、酒で服用する。残りを噛み潰して患部に塗れば、たちどころに効く。                  

一、男性が、毒虫に刺されたのを治す。まず、一銭を噛み潰して、毒に当てられた所に当てれば、神の様に効く。
一、男女の、咽喉が腫れて痛むのには、三七の一銭を粉として、塩酒で服用する。
一、男女の、心臓が疼痛することが長いのを治す。二銭または一銭を粉として、温めた酒で服用する。又は、自分で噛み潰して、酒で服用するのも良い。
一、小児の痘疹を治す。一銭を、沸騰させたお湯に蜜を溶かしたもので、服用する。
一、男女の血淋を治す。一銭を燈草姜湯で服用する。
一、婦人の血山崩(生理の出血の特に甚だしいこと)を治す。研いで粉にしたのを一銭、淡白酒、または米湯で服用する。一、二回服用すれば、すぐに治癒する。  
一、腸よりの下血には、四物湯に三七を五分加えて、服用すると治る。
一、杖に打たれた傷または刀傷を治す。三七を、傷の大小に応じた量を噛み潰して、患部を覆えば、すぐに治癒する。杖に打たれる前に、先に一銭を服用しておけばよい。そうすれば、打撃が軽くなる。杖に打たれた後、繰り返し服用すると良い。
一、男女の原因不明の腫毒、癰疽などの瘡を治す。痛みが止まらない時には、一,二銭を研いで細かい粉にして患部に塗れば、痛みはすぐに止まる。
或いは、化膿したばかり、化膿しそうでしていない場合には、三七を米の酢に溶いて患部に塗れば、すぐに散じる。

『血症全集』には、こうある。
三七は、すなわち金不換である。
吐血、鼻血、下血、血崩を止める。
気味は甘く、わずかに苦く、温である。
主治は止血、散血、血運、血痛である。すなわち、腸明厥陰の血分の薬である。それ故、能く一切の血病を治す。
吐血、鼻血には、山漆(サンシツ:これも三七の別名)一銭を、自分で噛み潰して、そのまま米湯で服用する。また、三七を五分、八物湯に加えて服用する。
下血、血崩には、研いで粉にして、白酒に一、二銭加える。または、四物湯に加えて、服用する。
血痢には、米のとぎ汁に混ぜて服用する。


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三七人参(田七)の日本で初出   その1

三七人参(田七)の日本で初出   その1

結論から言いますと、
現在は、日本の一部となっている琉球には、康煕58年(1719年)に、王爵という冊封使の随行員が一斤、持ち込みました。これが、最も古い記録です。
日本本土には、寛政丙辰年(1796年)、オランダ人が長崎に持ち込みました。
これが、日本国での最も古い記録です。

三七人参(田七)は、江戸時代に日本でも売買されていました。
18世紀後半には、日本に「広東人参」という名称で輸入されていました。しかも、かなり流行していました。
日本に入ってきたのが判明しているのは寛政丙辰年(1796年)、オランダ人が長崎に持ち込みました。これは、琉球王国(康煕58年:1719年)に入ったのよりも、かなり遅れています。
そうではありますが、多くの人が、思っていたよりは、三七人参(田七)が日本に導入されたのは早いということになります。


江戸時代に「三七人参(田七)」は、すでに日本に入って来ていた

三七人参が、いつ日本に入ってきたのだろうか?
三七人参(田七)が初めて日本に入ってきたのは、いつだろうか?
ということを、田七について調べ始めたときから、疑問に思っていました。
田七については、多くの文は、日本には、ここ2,30年くらい前から入ってきたとしています。
しかし、田七について調べてみると、もっと前から、つまり江戸時代、または琉球王国の時代に、日本に入ってきたのでは無いのか、という感じがしてていました。
三七人参(田七)が広く中国本土で知られるようになったのは、明末の李時珍の著作「本草綱目」からです。
日本人は、昔から、医学書や薬材を好んで中国から輸入していました。
このことは、明代の日本を研究した書である「日本考」には、日本人が欲しがるものを「倭好」として、医学書が挙げられていることからも わかります。
『本草綱目』も、出版されてから、すぐに日本に輸入されたと思われます。いつかは、断定できませんが。しかし、徳川家康が手に入れて、手元においたと言うことが知られています。その『本草綱目』は、神君御前本という名で呼ばれていました。
江戸時代は鎖国の時代で、外国とは通行が制限されていましたが、中国からの書籍、物資は、長崎を通じて、輸入されていました。中国人も長崎に来ていました。しかも、オランダ人より多くの中国人が、取引のために来ていました。
中国の物資は、中国人もオランダ人も持ち込んでいました。
輸入されたもののうちで、薬材は多くの部分を占めていました。
何が、輸入されていたかはわかりませんが、そのうちには三七人参(田七)もあったのではないかと思われます。
しかし、先日、ある書籍(叢桂偶記)を読んでいて、偶然に三七人参(田七)の日本で初出の文章を見つけました。

原南陽先生の『叢桂偶記(そうけいぐうき)』に、「三七人参(さんしちにんじん:田七)」が「広東人参(カントンニンジン)」として、記載されていました。
これを見ると、三七について、原南陽先生は、実に的確に理解していたことがわかります。
実に、驚くべきことです。
現在ですら、「三七人参(田七)」について、正しく認識されていないのですから。
『叢桂偶記(そうけいぐうき)』の後書きには、寛政十二年(1800年)とありますので、
広東にんじんについては、1700年代の末に日本国内で流通するようになったことが判ります。

さて、三七のことを、日本では、何故か「田七」と呼ぶことが多いようです。
田七とは、広西省の田州府の三七という意味です。昔は、田州府が「三七人参」の集散地だったため、三七が田七と呼ばれることもあります。
その、田七という名称が、日本では定着したということなのでしょう。
現在では、雲南省の文山州が「三七人参(田七)」の本場と自称していますが、歴史的には、広西省のほうが本場です。原南陽先生の以下の文からも、窺えます。

現在、日本では、三七(さんしち)は、多くの場合「田七(でんしち)」という名称で、健康食品として利用されています。
以下の記述に見られるように、三七は、優れた効果があるのですが、食品なので、効能効果を表示してあるものはありません。
私自身は、三七が好きで、何種類か取り扱っています。
私も、便宜上、それを「田七(でんしち)」と呼んではいますが、あまり好きな名称ではありません。どうも、田舎臭い名前なので、好きではありません。三七(さんしち)の方が、音も、字面も良い感じがします。
三七は、うまく利用すれば、さまざまな効果が早く発揮します。
昔は、主に外用に用いられていましたが、現代中国では、肝臓病、心臓病など広範囲に効果が認められて、治療に用いられています。

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ジンマシン・アレルギー と暑い日

ジンマシン・アレルギー と暑い日

先日は、アレルギーが久しぶりに出て痒い、という方が続けて二人来ました。

この暑さと関係している事が、共通していました。

ざっと、こんな風でした。

午前に来た方は、40代前半の男性です。
最近ジンマシンが出て発赤し、痒いとの事です。
子供の時は、よく出ていたが、少し前から又ジンマシンが出て痒いとの事でした。
そのほか、いろいろうかがって見ました。肝数値が良くないが、病気というほどではなく、他に特に不健康なところはなさそうです。一週間くらい前から、急にジンマシンが出だしたことが判りました。

これで、大体見当がつきました。

こう質問しました。
「冷たい飲み物を多く摂っていませんか?特に、食事中にはどうですか?」
すると、「その通りだ」との答えでした。
「ジンマシンが出だしたのは、冷たい水分を多く取るようになってからではないですか?」と聞きました。
やはり、「その通りだ」との答えでした。

食事中に冷たい水分を多く摂ると、すべてのアレルギーを悪化させます。
それは、こういうことです。

冷たい水分を多く摂ると胃や腸が冷えます。胃や腸の酵素は温度が38,9度の時に、一番良く働きます。温度が低いと、働きが悪くなります。

アレルギーに関係ある栄養素は、タンパク質です。タンパク質は、タンパク分解酵素によって、少しずつ小さく分解され、最終的には、アミノ酸になります。アミノ酸レベルにまで分解されれば、どんなタンパク質でもアレルギーを起こしません。
アレルギーを引き起こすのは、ある程度の大きさの分子量をもつタンパク質分解産物です。


たとえば、子供の時、タマゴアレルギーがあっても、大人になると、治ってしまうことが良くあります。
これは、小さいときは、消化能力が弱く、タマゴのタンパク質を十分に分解出来ずに、ある程度の大きさのタンパク分解産物が残ります。それが、人によってはアレルギーを引き起こします。大きくなると、消化能力が高まり、タマゴタンパク質をアミノ酸レベルまで、分解できるようになると、もうアレルギーは起こりません。

相談に来た方は、今までは、タンパク質が十分に分解されていたので、ジンマシンが起こらなかったと考えられます。
ところが、最近の暑さのために、食事中に多くの冷たい水分を取ることによって、消化液が薄まました。そのうえ胃腸の温度が下がったために、消化酵素の働きが悪くなり、タンパク質が十分に分解されず、ある程度の大きさまでにしかならず、アレルギー反応、この場合はジンマシンという形で発現したのでしょう。

結論。
生活改善:冷たいものを摂るのを控える。特に食事中。
薬は、胃腸の働きを良くする漢方薬と、お腹の状態を良くする健康食品を紹介しました。

さて、午後には、40代後半の女性が、やはり、同じように、ここ最近、ジンマシンが出て痒いとのことでした。
別なことで、来店されたのですが、話のついでに、最近、久しぶりにジンマシンが出たとのことです。

やはり、上記のような理由(食事中の水分とりすぎ、早食いなど)から、久しぶりにアレルギーが発症したと思われます。

何らかのアレルギーのある人は、冷たいもの、水分の取りすぎには、気をつけましょう。


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円形脱毛症と漢方薬

円形脱毛症と漢方薬

先日見えたお客さんですが、
息子さんが、サークルの仲間から
「あの頃はひどかったよな。」、と言われたそうです。
円形脱毛症についてなんですね。

今年の初め、1月ごろ、その方からこう相談されました。
息子さん、大学生です、が髪の毛が抜けて一部の地肌が見えてきていたのが、最近は更に広がってきてどうしましょう、ということでした。

直接見たわけではなく、お母さんの話からすると、いわゆる、円形脱毛症のようです。
これには、養毛剤は効果がありません。
さて、どうしたものかと少し考えて、二通りの方法を思いつきました。
円形脱毛症は、今は、何らかのアレルギーが関係しているとされています。
その息子さんには、アレルギーがもともとあります。

一つは、腸の状態を改善すること。
(腸と免疫は関係があります。腸の状態が悪いと、アレルギーが悪化することが最近わかってきました。私の知人から、少し前に、腸を改善することによって、毛が生えてきた例が続けて二例あると、その方法を教えてもらいました。)

もう一つは、ずばりアレルギーを改善する漢方薬を使うことです。
ある漢方薬、その効能にアレルギーはありますが、脱毛症が無いので、具体的な名前をあげません。適応外になりますから。参考のために具体名を挙げたほうがいいのでしょうが、出せません。
この漢方薬は、もともと毛はえ薬を開発しようと開発された漢方薬なのですが、「発毛」の効能効果の許可を取れなかった、という経緯のある薬です。
適応症としては、「アレルギー性体質の次の諸症:にきび、湿疹、皮膚炎、ジンマシン、皮膚掻痒症、鼻血」となっています。
しかし、これまた、これを円形脱毛症に使って効果があったとのことも聞いていましたので、この漢方薬もいいだろうと、候補にあげました。

お客さんと相談して、結局その漢方薬を使うことにしました。
もともと、アレルギーがあるのだから、効能書きを見て、息子さんが納得して飲んでくれるだろうと、それに決定しました。
若い男性は、親が何かの薬を飲めといっても、言うことを聞かないことが多いので。
また、シャンプーは、敏感肌用に変えてもらいました。

それから、少しして、息子さんが、「嫌がらずに飲んでいるので良かった」と言われました。また、花粉症のシーズンには、「今年はほとんど出ていないので、あの漢方薬のおかげかもしれない。」といわれました。
そのうちに、「すこし生えてきたみたい。」といわれました。

そうこうしているうちに、7月の末に、最初にあげた、「あの頃は、ひどかったよな」ということを聞かされたわけです。
最近の髪に毛の状態は、全く普通だそうです。

まあ、それにしても良かった。
大学生で脱毛症では、かっこ悪いし、女の子にはもて無いでしょうし、就職活動にも響くでしょうから。
良かった、良かった。


朝霞市、志木市、新座市、和光市で36年 漢方相談薬局
  朝霞の漢方 昭和薬局  薬剤師 鈴木 覚
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