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ナタマメの流行と、ミイラ薬の流行と

ナタマメの流行と、ミイラ薬の流行と

流行は、繰り返すと言いますが、健康食品(または、医薬品)にも、流行り廃りがあります。

私は、朝霞市で40年以上を、薬局を経営していますが、けっこう、流行り廃りを見てきました。
また、これは何々(病気、不健康状態など)に良い、とか言われることが、多々ありましたが、実は、そうでなかった、ということも、よくありました。

江戸時代の文書を読んでいて、面白いのを見つけました。
ミイラ薬の流行と、ナタマメの流行です。

江戸時代にも、ミイラが体に良いと、オランダ船経由で、入ってきました。
一時、大いに流行りましたが、効きもせず、毒にもならずで、廃れてしまいました。

そのことが、「八十翁疇昔話 (八十翁昔がたり)」新見正朝著、天保8年(1837年)に記述されています。
題名は、80歳の老人の思い出ばなし、といった意味です。また、前書きには、この新見正朝先生は、92歳で亡くなったと記しています。当時としては、大変な長寿です。

さて、興味深いことに、赤坂の名物は、「ミイラ薬」であったそうです。安く売ったので、流行ったそうです。
おそらく、本物のミイラではなく、数種の生薬を混ぜたものの様でした。
「むかし、六、七十年以前(延宝年間、天和年間)、ミイラという薬が大いにはやり、歴々衆大名も飲む。
下々も飲む。
疵気痞に良く、虚証を補い、脾胃を調え、気力を強くし、食傷その他諸病に良いとして、飲まない人がいなかった。
方々の薬種屋で売っていた。赤坂ミイラと言って、赤坂に大坂屋という生薬屋が、安く売っていた。
皆、調えて飲んだ。
代金は、長崎屋などでは、20双、30双などで売っていた。15双斗のもあった。
赤坂ミイラは、5双3双で売っていた。
何か、薬種2、3種に松脂で練った様な薬であった。
病気には効かず、また中毒もせず、何の益もない薬であった。
7、8年、特に流行ったが、そのうち段々と廃れてしまった。」

(疇の音は、チュウで、この場合の意味は昔。
双というのは、お金の単位でしょうが、不明です。また、重さいくらに対してであるかも、文章からは、判断できません。)

この、赤坂のミイラの項に続いて、「黄精(なるこゆり)」、「ナタマメ」についても、触れられています。
ただし、昔は流行ったが、今は廃れてしまった、と記されています。

現代でも、数年前に「なたまめ」が、流行りましたが、すでに下火のようです。
これは、江戸時代の二番煎じ、三番煎じで、何も目新しいことではありません。繰り返すということは、ナタマ

メの薬効は、「ミイラ薬」と同様に、「効きもせず、毒にもならず」に近いことでしょう。

ついでですので、ナタマメの古い時代の記載を引用しましょう。

梅村甚太郎先生の「民間薬用植物」には、

なたまめ    Canavalia ensifiormis DC.

漢名刀豆。
畑中に栽培する豆科の一年草にして茎は蔓性をなし長一二丈に及ぶ。
葉は有柄、大形にして卵圓形の三小葉より成る。
花は淡紫紅色又は白色の蝶形花冠4 果實は大形の扁平なる英にして舵状を呈し、大なるは長さ一尺、幅二寸に至る。
種子も大粒にして淡紅色或は白色なり。
●シャックリの妙藥である。粉末とし、少しづつ白湯で飲むとよい。その効果は、柿蔕に勝ると云う。(注:シャックリは、柿の実の蔕を煎じて服用させると、止まるとされています。
新薬では、効く物がなく、唯一これが効くというのが、漢方での常識。)
●刀豆を食べれば、痰を去り、気を下し、中を温め、大便を通すと云ふ。
●蚊に刺されたのには、刀豆の葉をもんで、そこにつけると良い。
●喉痺(のどはれ)には、白刀豆を細かい粉とし、一匙づつ白湯、又は水で飲むとよい、と云われている。
●或は刀豆を黒焼として、管にて吹き入れれば、不思議と効果がある。
(これと、同じ記述が、「救民妙薬」にあります。あるいは、こちらから引用したのかもしれません。)
●尾張國瀬戸地方にては、喉腫のとき、刀豆の根を煎じて服用する。
●すべて口中の腫物には、刀豆の殼を黒焼とし、附けると良い。又、飲んでも良いと云う。
●横産(よこざん)、逆産(逆子)等にて悩むときは白刀豆の殼を煎じて手足を洗うこと。よく納まって、お産が順調になる。
●内損して吐血するには、刀豆を炒り、水で服用すると良い。
●腋臭には、白刀豆一個と小豆の花とを、陰干しにして五分、えのきの若葉を五分、麝香を三匁、辰砂を五分を細かい粉にして、毎朝手洗の時につけると良いしと云う。
●白刀豆、山薬(サンヤク:やまいも)、橙皮各十二匁、桂枝、廿草各四匁五分、白糖二十匁。以上を粉末にして白湯で何度も服用すれば、痰咳に不思議と効果がある。

また、江戸時代の「救民妙薬」には、
ナタマメの薬効を記した部分があります。

喉痺(こうび)を治す。ナタマメを黒焼きにして、管で喉に吹き入れると、不思議と効く。


さて、もう一つの「黄精(なるこゆり)」ですが、これは強精剤として、用いられたと思います。
かの小林一茶が強精剤として愛用していました。
また、現在でも、「黄精(なるこゆり)」は、ドリンク剤に配合されている形で、利用されています。
多分、それとは知らないうちに、多くの人が飲んでいることでしょう。


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出雲大社に残る古代の小王国(出雲王国)の儀式

出雲大社に残る古代の小王国(出雲王国)の儀式
 夏休みに、出雲大社など、山陰に行ってきました
                                     2016.8  

夏休みに、出雲大社、松江市、鳥取砂丘、足立美術館と姫路城をセットにしたパック旅行に、行ってきました。
出雲大社に行きたいと思っていましたが、仕事の関係で、お盆の時期しか、休みが無いので、8月14日、15日、16日の三日間でした。価格的にも、普段の二倍くらいでしたが、出雲に行ってみたいとの思いが勝っていましたので、行くことにしました。
この昇殿祈祷もパックに入っていましたが、それが良かったと思いました。もし、個人で行ったら、ただ外から見るだけで、昇殿まではしなかったでしょう。また、ガイドに、八雲について聞かされることも無かったでしょう。
出雲大社は、今では縁結びの神様と言う事で、女性の参拝者が多いのだそうです。私自身は、単に古代史への興味があって、行って見たかっただけでした。

通常、出雲大社へのパック旅行は、女性が8割位だ、とのことを何かで読みました。今回のツアーでは、少しだけ女性が多い程度でした。理由は、単純で、時期的なことで価格が高いからでしょう。しかし、こういう時にわざわざ来るのは、時間が無い人か、よっぽど強い願いがあるのでしょう。事実、何人かの人は、お守りをさかんに買っていました。                       


出雲大社
出雲大社にお参りして、昇殿祈祷を受けました。
他の神社と似たようなものであろうと、想像していました。
しかし、良い意味で予想と違いました。

出雲大社の写真等をみますと、大きな注連縄(しめなわ)のある社(やしろ)が写っています。
ガイドさんが言うには、この社を本殿であると思っている人が、7、80%だそうですが、私もそう思っていました。実は、この社は、神楽殿だそうです。ここで、昇殿祈祷を受けるのだそうです。本殿は、別にありました。
この神楽殿の正面には、注連縄のかかった小さな屋根(それでも、普通の社よりは大きいのですが)があります。

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神楽殿の中の奥にも、似たような屋根がありました。

さて、拝殿祈祷には、大変興味深い物でした。
私は、高校時代にすでに古事記を読みおえた程、もともと古代史に興味がありましたので、是非出雲大社に来てみたかったのです。
祈祷の様子は、こうでした。
先ず、大きな神楽殿の中に入り、用意された席に座りました。
私たち(祈祷を受けるもの。信者側)の対面には、普通の社の屋根があります。つまり、社の中に社があるという形になっています。
その社の中に、御神体(或いは、その代理?)が鎮座しているようです。
その社の手前の一番左側に大きな太鼓があり、太鼓のうち手が一人、その右(とはいっても中央からみたらかなり左)に、3人の神官が並んでいます。(この左というのは、私たちから見たらです。)神様側からの二人が男性です。3人目が女性です。神様から、この3人のうちで一番遠いので、神官の位としては、一番下と言うことでしょう。この女性は、巫女さんの衣装とは全く違います。全身白の衣装です。男性神官は、他の神社と同じ様な衣装です。巫女さんの衣装は、普通の神社と変わりません。
始めに、太鼓が打ち鳴らされました。
かなり大きな音でした。
これは、これから儀式(祈祷)が始まることを神様と参拝者に知らせること。それと、参拝者の気持ちを、俗の世界から、神の世界に切り替えさせる効果があるのでしょう。
これから、儀式(祈祷)が始まりました。
女性神官が、何かをのべ(何かは忘れましたが)てから幣(ぬさ)を、男性神官達の頭上に振りました。それから、私たちに向かって幣(ぬさ)を振りました。
これは、ケガレや災いを祓う、罪を清める、という意味があるのでしょう。
また、白の衣装は、ケガレなき清浄との意味でしょう。
女性の神官が、男性の神官に対してケガレを祓う力があると言うことは、現世での地位とは別に、神の世界では、女性が上、もしくは男女平等であったことを示しています。或いは、女性が紙の代理人であることでしょう。
このことは、天照大神や卑弥呼を連想させます。
また巫女は、漢字では、女の巫(かんなぎ)となりますが、ヤマトコトバのミコの音に巫女をあてています。
漢語としての巫(カンナギ)は、神の言葉を伝えるもの、霊媒です。
ミコは、この場合は、神様の御子(ミコ)ですから、古代では巫女の方が、神主もしくは神官より、神様に近かったことが、連想されます。
この、昇殿祈祷で、こういうことを感じました。

これまで、普通の神社では、女性の神官を見たことがないので、真に、不思議な感じがしました。
それから男性神官(一番神様に近い座にいた)が、私たち参拝者(お願いする側)の希望(良縁、家内安全など)を織り込んだ「のりと」を読み上げました。
そのあとに、巫女が、鈴を鳴らしながら、舞いました。
ただ小さな円を描くように舞いながら鈴を鳴らしました。舞、踊りと言うには単純すぎますが、優雅でした。
それから、私たち参拝者に向かって鈴を鳴らして、終わりました。
男性の神官達は、他の神社の神官と変わらず、いわゆる神職で、特に変わるところはありませんでした。
しかし、女性の神官と、巫女さんは、動きが、大変完成していて、芸術的でもありました。
神官としての身分は、男性神官の方が上でしょうが、本当に神様に近いのは、女性達であるとの感を抱かされました。

今目の前で行われている儀式は、古代の小王国の在りし日の儀式を再現しているではないかと思えてきました。
琉球王国では、世俗的なことは、男性の国王が取り仕切りますが、宗教的・呪術的なことは、国王の姉妹が、担当していました。
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、倭の女王卑弥呼は、鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす、とあります。
卑弥呼は、神に祈ったり、自ら神がかって、国事を決定したり、予言をしたりし、弟を通じて言葉を伝えて、国民を支配したということでしょう。

以上の事から見ても、大和朝廷により統一される以前の古代日本の各地にあった小王国(出雲を含む)でも、男性の神官(王または、シャーマン)ではなく、女性の神官(シャーマン)が、神懸かって、神様の言葉を伝えたり、呪術的なことを行ったのではないか、と想像されます。

出雲大社での、女性神官と巫女の踊りには、古代には女性のシャーマンが、神様に祈りを捧げながら、踊り、陶酔状況になり、ついには神懸かって、託宣を述べたり、予言をしたり、重要な事を決定したことを、今に伝えているのではないか、との感を抱かされました。
この様な、神事・儀式は、女性シャーマンが一人で行う場合もあれば、数人で行うことも、あったでしょう。

古代日本の国家統一の過程で、大和朝廷は、地方にあった小王国を次々に併合しました。
しかし、出雲王国だけは、ある程度の権威を認められ、祭祈が古代から断絶せずに、形が少しずつ変化しながら残ったのでしょう。古事記は、本来は大和朝廷の神話歴史書であるはずなのに、出雲の神話が多く含まれているのは、何らかの理由があるのでしょう。

大社での、昇殿祈祷での様子は、古代の出雲王国では、神事・呪術等を、女性が行ったことを、今に伝えている、と解釈できます。

私の目、心中の眼には、女性神官と巫女の動きから、古代の日本の小王国の神事を再現しているように見えました。
これを観ただけでも、出雲大社に行った価値があったと、思いました。
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さて、本題とは関係ないのですが。出雲大社では、ポケモンGOが禁止されているとの報道を見ます。
確かに境内には、禁止の看板が立っていました。

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